内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第36号
特集:乳幼児期の探究I

育つ力
玉井 美知子 元 文教大学女子短期大学部 教授
*** はじめに ***
I.這えば立て 立てば歩めの親心
II.三つ児の魂百まで

はじめに

『研究紀要』第36号は、「乳幼児期の探究I ─育つ力を育むために─」とした。

その目標は乳幼児期の育つ力を支え、それを伸ばす。その理論と実践、さらに国政や地方公共団体などの協力によって解決すべき諸問題を根源から見直すことを目的として、子どものための子どもに寄り添う望ましい保育が出来るように、乳幼児教育への理論と実践の成果をまとめることにした。

子どもは生まれながらにして幸せになる権利がある。そのために親は子どもの持つ無限の可能性の芽を育み、かつ健やかに伸ばしていく大切な役割を担っていかなくてはならない。特に、幼児期は人間の一生を左右する最も重要な時期でもあり、それだけに子育てに対する親をはじめ保護者、保育者のあり方が問われている。

小さな身体に一人ひとり独自の個性や能力を秘めて生まれてくる子どもたち。その個性や能力は、適切な時期に、適切な指導をすることで無限の可能性が見出せる。

保育所、幼稚園時代は子どもの成長にとって、「ヒト」が人間になる「最も大切な時期にあたる」。乳幼児の毎日の行動をきめ細かに観察し、その個性を伸ばし感性豊かな情緒を育てるために、一人ひとりの子どもに応じた、「手づくり教育」を行うことは保育者と親(保護者)の大切な務めであり責任でもある。

核家族が増え、親の共働きの急速な増加、若い親たちのなかには子どもの保育や育児のよりどころを失い、わが子を前にして途方にくれている現況だと思う。情報機器から例えばメールが入り、他人からの情報をどこまで信用したらよいのか、不安な親が増えている。

ここに、「保育・子育て意識全国3万人調査」の結果がある。文部科学省科学研究費助成事業(2002〜05年度)、鳥取大学村山祐一教授代表。全国の保育所・幼稚園・子育て支援センター199施設の保育者・父母ら51,000人を対象に調査を実施した。

要約すると、母親が「日々の子育てについてどう感じているか。」の問いに「子どもに対してイライラすることがある」は80%を越え、「身体の疲れを感じることがある」「子どもを叩きたくなる」「子育てに自信がなくなる」という回答は、60〜70%以上それぞれにあった。ほとんどの母親はストレスを感じながらも「子どもと一緒に、かけがいのない時間を過ごしている」89.1%と実感しており、それゆえに子どもと関わる時間を求めている。なかには、子育てをかけがいのない時間と感じない母親も約10%あり、この層の人たちは「子育てにお手上げ状態」で、「もう頑張れない」という母親たちは10〜20%あり、母親が勤務終了後、保育所から子どもを連れて家に帰宅する時間は、夕方5時頃までの人は約30%に過ぎない。平日の午後8時ごろまでに家族全員がそろう家庭は半数以下である。

子育ての基本は母親と父親が協力して楽しく営むようにすることだが、わが子について話し合う時間すらもない。こうした状況を打破するのは、もはや個人の努力では不可能で国政や社会の責任だといえよう。

国政は以上のことを踏まえて、次のプランを立てている。

国政の1つの例を以下に挙げることにする。

文部科学省は平成13年10月「認定こども園」を開設した。その名称は「かすみがせき保育室」である。担当局課名は、大臣官房人事課福利厚生室。

設置の趣旨「わが国の出生率の低下に伴い政府を挙げてその対策に取り組んでいる。少子化問題の取り組みは教育行政においても重要で、若い人々の子育てについての不安や負担感を和らげ、子育てに夢を持つことが出来る社会を築くために、社会が子育てを支援していくという視点が重要である。── 中略 ── 霞ヶ関に働く人々が子育てをしながら働くことの出来る環境づくりの一環として、霞ヶ関初の託児施設設置という、先駆的試みを行った」と発表している。その施設は、乳児と幼児の混合保育であること。乳児・幼児、利用定員30名(常時、一時保育)、保育時間、8時30分から22時(基本保育時間…常時8時間)〈参考〉開設年月日…平成13年10月19日、運営方式…文部科学省共済組合、文部科学省支部及び民間機関に運営委託している。

以上は、要点のみを挙げた。その外、託児施設運営受託事業者については、保護者や保育者のために、以下のような経営の例もある。

  1. ベビーシッターの養成及びベビーシッターによる在宅訪問保育の請負
  2. 育児セミナー等各種セミナーの企画
  3. その他、書籍、雑誌の編集・出版を実施する等、「認定こども園」(総称)のこれからの経営運営に創意工夫が、いっそう望まれる。

幼児教育の重要な発達の目標を子どもから学びたいものである。

I.這えば立て 立てば歩めの親心

親の誰もが子どもを愛するという本能的な感情で子どもの健全な成長や人格形成を期待し願うことは、古今東西を問わず最も共通的な親心であり、それこそは家庭教育の根源であるといえよう。

オスロー市(ノルウェー)に在住していたグスタフ・ヴィーゲラン(Gustav Vigeland)(1869〜1943)は、彼は人間の生と死の原点をライフサイクルの各節目に約650体で表現し人々に問いかけた。その中の一区画に児童公園があり、その中央に新生児誕生の瞬間の像がある。生まれてから約1年3ヶ月になると自分の力で立ち歩くことが出来るようになる。それまでの成長過程の9つの節目を彼は9体の彫像で表現した。「這えば立て、立てば歩めの親心」と言う日本の江戸時代中期から今日までも語り継がれている諺(古川柳)とまったく共通する、彼の主張を見ることができる。いかに彫像の意義を理解するかは多様であるが、その気持ちを大切にしていきたい。


No.1
No.1
胎児が新生児として誕生した瞬間の像。この世に生まれ出る時、胎児は母親の膣から頭を出す。母親の胎内での長旅を乗り越え、産道と言う嵐の中を潜り抜け親と同じ空気を共有した瞬間、自力で初めて肺呼吸をする。そのとき産声がでる。
No.2
No.2
仰向けに寝ている新生児 (1〜2ヶ月頃)
No.3
No.3
首が据わり寝返りの準備(5ヶ月頃)
No.4
No.4
手で足先を掴み、口まで持っていく(6ヶ月頃)
No.5
No.5
支えなしで座ることが出来る(7ヶ月頃)
No.6
No.6
両手を前に床につけて腰を上げる
No.7
No.7
片手を床につけてバランスをとり立つ瞬間
No.8
No.8
両足を大地に着け一人で立つ男児
No.9
No.9
両足を大地に着けて一人で立ち自由に歩く女児
個人差があるが、およそ1歳3ヶ月頃になると一人で歩くようになる
(中尾是正『輪廻の彫刻』グラフ社、1982年より。写真9葉をご厚意により掲載させていただいた。)

II.三つ児の魂百まで

1993年に筆者は「新しい家庭教育」をミネルヴァ書房から出版した。それは胎児期から新生児期、乳幼児期、児童期、青年期を中心にそれぞれの発達の特徴と教育方法などについて大脳の発達から記述した。子どもにとって最も重要なのは「ヒトが人間になる」3歳、4歳、5歳児の幼稚園、保育所、家庭で過ごす時期こそ、大切な時である。このことを大脳生理学者故時実利彦東大教授から、1970年筆者は直接指導を受けた。

大脳生理学の立場から乳幼児期、特に3歳児頃の幼児は物事を吸収する力が人間の一生の中で最も強い。脳に印象づけられたことは、その子どもが一生涯もち続けていく。つまり、身についていくということである。

例えば、言葉のイントネーションやアクセントなど乳幼児期に身についたものは、どんなに標準語のイントネーションに改めても、音声や声紋の検査によると、幼児期から児童期にかけて育った親や周囲の言葉の環境に強い影響を受けていることがわかった。また、鉛筆や箸の持ち方なども、3歳頃までに身につけた生活行動様式は、定着する。そして、就学期頃になって急に改めようとしても困難なことがわかった。

「利き手は生まれたばかりの乳児でははっきりしない。つまり、両手利きである。生後7ヶ月頃から、どちらか一方の手を余計使うようになり、2歳頃になると、利き手が、かなりはっきりしてくる。そして、6歳頃にはすっかり利き手が定着する。このことは生後の環境の影響や社会的要請によるという後天的要因と遺伝的要因の調査もある。が、鉛筆や箸の持ち方、握る様式は、子どもに接して教えた人の影響がある。」と時実教授は実践例を報告している。

ルース・ベネディクト著『菊と刀』の文中に、「老婆が孫の背後に回り右の手に筆を正しく持たせて文字を書く」という報告がある。子どもに筆(鉛筆)を右手で正しく持つ習慣がつくという例を日本の家庭教育では教えていると強調している。大脳生理学が社会に広められていない時代日本では、生活行動様式を身につける意識を「三つ児(3歳児)の魂百まで」と諺にして、家庭教育の柱の一つにしていた。それが今日まで伝え継がれている。これは経験の「賜」であろうと思う。

そのことは、子どもの生活行動様式や性格的な特徴の芽を育てる子どもの親(保護者)や保育者たちは、子どもへの気配り、目配りを大切にすることを同時に示唆していると思う。時実教授は、先に述べたように、3歳児前後の幼児の脳の働きについて、大脳生理学の立場から筆者に具体的に説明なさった。その要点のみを紙面の許す範囲で述べる。

脳の左側面図

人間の脳の働きは大脳の表面の大脳皮質という脳細胞の活動によって起こる。脳細胞の数は約140億ほどで世界人口の約6倍ほど在る。大脳は左右1対の大脳半球と棒状の脳幹から出来ている(図参照)。その大脳の表面は大脳皮質といい、人間として一番人間らしさを支配しているところである。大脳皮質は一番表面から、新皮質と古皮質と旧皮質との3層から出来ている。古皮質と旧皮質を合わせて「大脳辺縁皮質」と言う。ここの細胞の働きの特徴は食欲・性欲・集団欲など人間の本能を支配している。また、新皮質は最も人間らしい能力である学習や経験を重ねて、それぞれの時期に適した習慣や態度が形成されたり、考える力や創造する能力が創られていくところである。

新皮質の細胞には、一つひとつの脳細胞に「シナプシス(突起)」が生じてきて、20歳ころまでにシナプシスがほとんどできる。その1つの脳細胞のシナプシスと他の脳細胞のシナプシスを神経繊維が生じて結ぶ。それを配線というが、その配線によって脳の働きは分業して、人間らしくなっていく。(時実研究室の壁面全面に拡大された脳細胞のシナプシス間の配線された写真が貼られていたことを思い出す。)

特に、人間の脳の働きのうち、知識や技術を習得するための必要な働きは「新皮質」が受け持っている。そして、この「新皮質」の発達の過程には3つの段階がある。

  • 第1段階 2・3歳頃(幼児期)
  • 第2段階 6・7歳頃(学齢期)
  • 第3段階 16・17歳頃(青少年期)

第1段階にあたる、2・3歳の頃は、脳の「新皮質」が働き始める時期である。理屈抜きに覚える分野は「古皮質」の働きである。例えば、言葉や音感などは、この脳の働きで、考えたり、判断したり、推理したりするのは新皮質である。

0歳から2・3歳頃は「新皮質」はまだよく発達していないが完成しているのでこの働きで、言葉や音感など理屈なしに「真似る」。そのことによって子どもは出来た喜びを感受する時期である。この時期を模倣の時期またはインプリンティングの時期と言われるほど、自分の身の回りの人のすることをよく真似をして楽しみながら表情やタイミングを身につけて成就感、到達感を味わう。

例えば、「イナイ、イナイ、バー」「握手でコンニチハ」など。大きな声で笑い、何回も同じ動作を繰り返す。

第2段階は「新皮質」の働きの営まれる時期で、6・7歳の頃、理性とか知性で代弁されている高等な精神活動が営まれる場で、この働きが大体完成に近づくころと言われている。従って、物を考えたり、判断したり推理する芽が、環境によって伸びていく。

知識を習得する学齢期を6・7歳と選んであるのも大脳生理学から見ても、当を得たものといえよう。

したがって、幼児期を過ぎて、5〜8歳頃になると模倣期を脱して、自分で考え「自分で」と主張し行動しようとする自我が芽生える創造の時期。これを、第1反抗期。第3段階である15、16、17歳を第2反抗期と言う学者もいる。この第1反抗期頃から生活習慣として必要な行動様式を教え込もうとすると、思い通りにしたい子どもの意思とぶつかって、嫌な気持ちが生じて反抗するので扱いにくい時期になる。上手に説明をして自尊心を満足させながら、教え、その「親の背中を見て」子どもは納得して行動する(できる)ように指導することが望まれる。大人の行動を見て、納得して子どもは実行するのである。

子育ての最も重要な基盤は、親の愛情と躾の調和である。しかし、家庭教育は親の意思の如何によって決められる極めて私事的な性格を持っている。親が無意図的に子どもを育てている現状も無視できない。例えば、「時期がくれば子どもは生活習慣(例えば、手洗い、箸を持つ、挨拶など)を自然に身につけるだろう」と思っている親もいる。気づいたときには既に時期遅れで、なかなか基本的生活習慣が身につかない子どももいる。

しかし、子どもを根気よく、丁寧に、継続して教えているうちに「一人で出来た!」という成就感が喜びの体験と自信を持つことになる。このような経験がいくつも重なる時、大脳の「新皮質」が働き成就感を持つようになる。そしてその自信や感動は一生心に残る。改めて「三つ児の魂百まで」の諺を吟味したいものである。

終わりに、(財)日本教材文化研究財団の『研究紀要第36号』を含め、今後3年間継続して社会の変化と共に、新たな乳幼児教育の問題解決と新しい問題の視点を加えて探究を深めていく努力をしていきたい。


〈参考文献〉
1)時実利彦『脳の話』岩波新書 1962
2)時実利彦『人間であること』岩波新書 1910
3)ルーズ・ベネディクト 著・長谷川松治 訳  『菊と刀』社会思想社 1990

〈参考資料〉
1)『かすみがせき保育室のご案内(平成18年10月)』文部科学省共済組合