内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第36号
特集:乳幼児期の探究I

幼稚園教育が目指すもの
―幼児教育の原点を見つめなおす―
浅見 均 元 青山学院女子短期大学 助教授
*** 序***
I.幼稚園の誕生と名称の由来
II.わが国の幼稚園の誕生
III.現行の「幼稚園教育要領」と保育
IV.人としての真の豊かさを求めて

ここ数年幼稚園は預かり保育、保育所は早朝保育と延長保育に拍車がかかっている。さらに2006年10月「認定子ども園」がスタートし、いわゆる幼保一元化の時代を迎えているということができる。いわば、わが国の幼児教育は総保育園化の時代を迎えつつあるといっても過言ではない。このことは確かに時代の要請なのだと思われる。その成立までの経緯を辿ると、発端は幼稚園と保育所を別々に存続させると少子化の中で、不経済であること、つまり1施設にすれば人員削減に繋がるということであった。また、共働き家庭が増え、親のニーズとして長時間保育をする施設が望まれている等などの理由もあった。いわば大人の視点から幼保一元化が叫ばれてきたといえるだろう。しかし本当にそれでよいのだろうか。倉橋惣三は昭和6年刊の「就学前の教育」において「現代の事実は、家庭の生活と教育とを必ずしも望ましき方向に進めているといえない。・・・はなはだしきは、この趨勢に追従して、これを合理的なりとし、幼児期の教育を全部家庭から社会に移さんとし、そうすることを正しいとするごとき論また実行さえもあったりする。誤れるのはなはだしというべきである1)」と述べているが、誠に現代にも通じる由々しき問題である。今こそ、子どもの立場に立った、本当の意味で、人としての子どもはどう育つべきなのか考えておかねばならない時期であると思われる。そこで、本論文では子どもの園としての「幼稚園」がどのような経緯をたどって創設され、現在に至っているのか、幼稚園の目指すものは何であるのか、幼児教育とはいかにあるべきかについて考えてみたい。そして、そのことが真の子育てのありかたに通じていくものであると確信している。

I.幼稚園の誕生と名称の由来

フレーベル像(カイルハウスにて)
フレーベル像
(カイルハウにて)

「幼稚園」(Kindergarten)は、ドイツ人フレーベル(Friedrich Wilhelm August Frober 1782−1852)によって1840年ドイツ、チューリンゲン地方のバートブランケンブルクに創設された。

1837年、フレーベルは同地に「自己教授と自己教育とに導く直観教授の教育所」を創設し、1839年母親の教育力の向上と保育者養成を目指し、講習会を開催。受講生の実習の場として村の6歳以下の子どもを集めて開設したのが「遊戯及び作業教育所」であり、それが1840年に「幼稚園」という名称に改められたのが最初ということになる。

スタイゲル山よりブランケンブルグを望む
スタイゲル山より
ブランケンブルクを望む

「幼稚園」という名は、1840年の春にフレーベルがブランケンブルクよりカイルハウに向かっての散歩の途中、スタイゲル山の山道より陽春に照らされたブランケンブルクの美しい景色を眺めていた折に「忽然と私の魂から現れてきた」といわれている。KINDは子どもという意味であり、GARTENは英語のGARDENであり庭の意味になる。この「幼稚園」の根底にある考えは、1840年5月1日にフレーベルが著した「幼稚園設立計画案」の中にうかがうことができる。

即ち、「神の保護と経験豊かな、洞察の優れた園丁の配慮の下にある庭では植物が自然性との一致において育てられるように、ここでは、人間という最も高貴な植物、すなわち人類の萌芽でありかつ一員である子どもたちが、自己、神及び自然との一致において教育されるはずであり、かつこのような教育のための道が一般的に示されかつ開設されるはずである2)」と述べている。つまり保育者を園丁に喩え、子どもを植物に喩えて、子どもは自己と神と自然の一致の中、人間としての尊厳をもった存在として、経験豊かな保育者に育てられる。その庭が幼稚の園であり、幼稚園であるということになるのである。また、フレーベルは真の教育は家庭によって行われなければならないとして、母親自身が幼児教育者であることを自覚し、その使命に目覚めてほしいと願っている。彼の著した「人間の教育」の中に「夫婦や両親が誕生告知の前後においてなさねばならないすべてのこと ― 言行において純粋かつ明白であること、人間として価値と品位に満ち溢れていること、自己を神の賜物(子ども)の番人、保護者、保育者とみなすこと、人間の職分と使命及びそれを達成する方法や手段に関し知識を深めること」3)と述べていることなどから理解することができる。

フレーベルの墓
フレーベルの墓

また、フレーベルの墓碑には「さあ! われらが子どもらに生きようではないか!」という「人間の教育」の一節が刻まれている。これこそ幼児教育の原点といえるものであり、フレーベルの思いを端的に表したものであるといえよう。

II.わが国の幼稚園の誕生

それでは、わが国の幼稚園は、いつごろから、どのように創設されたのだろうか。わが国の幼稚園の誕生は、明治政府の欧化政策の中で誕生したものであるということができる。したがって、欧米先進諸国の幼稚園の例を模範として創設されたものである。また、その本質や保育のあり方、考え方などもそのまま取り入れられてのものであった。とはいえ最初は、形式が先行して進められていった形のみの模倣といえよう。

わが国の幼稚園の創設は、1876年(明治9年)に東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)に初めて開設された官立の東京女子師範学校附属幼稚園がそれである。フレーベルが1840年に幼稚園を創設してから36年後のことであった。それ以前にもいくつかの幼児教育施設が存在していたことは確認されているが、資料の確認できる幼稚園という名称のものは東京女子師範学校附属幼稚園であるということができる。近藤真琴が諸外国の幼児教育事情を紹介した「子育ての巻」(明治8年に刊行)には、「フレーベル氏の童子園の法」という文章があり、キンダーガルテンを幼稚園と訳さずに童子園と訳していることが確認できる。そして明治9年1月に文部省(現文部科学省)より刊行された、桑田親五訳による「幼稚園」において幼稚園という訳がなされており、その後に東京女子師範学校附属幼稚園が創設されている。

東京女子師範学校附属幼稚園の保育は明治9年11月16日に開始されている。現在の園長に当たる監事は関信三で、主席保姆はドイツ人の松野クララ、保姆は豊田芙雄他であった。松野はドイツで保姆養成学校を卒業、フレーベル主義の幼稚園に親しみその流れをくんでいた人であったが、直接保育をしたわけではなく、保姆の指導に当たっていたといわれている。

東京女子師範学校附属幼稚園の創設当初の保育内容

ここでは東京女子師範学校附属幼稚園の保育はどのようなものであったのかについてみていく。資料によると、当時の幼稚園の日課4)は、次のようなものであった。

登園
整列
遊戯室─唱歌
開遊室─修身話か諸物話(説話或は博物理解)
戸外遊び
整列
開遊室─恩物─積木
遊戯室─遊戯か体操
昼食
戸外遊
開遊室─恩物
帰宅

恩物(Gabe)はフレーベルの考案した遊具であり、神が幼児に賜った遊具という意味である。最初の幼稚園は朝登園すると集まって、歌を歌い、道徳的な話や様々な有益な話を聞き、戸外遊びをし、再び集まりフレーベルの恩物を行い、その後遊戯や体操を行い、昼食を摂り、戸外で遊び、再び恩物をして降園という流れであったようである。おそらく9時から2時ころまでを園で過ごしたと思われる。明治10年には「東京女子師範学校幼稚園規則」が出され、幼稚園の目的が「学齢未満ノ小児ヲシテ、天賦ノ知覚ヲ開達シ、固有ノ心思ヲ啓発シ身体ノ健全ヲ滋補シ交際ノ情誼ヲ暁知シ善良ノ言行ヲ慣熟セシムルニ在リ」と記されている。要するに小学校就学前の子どもを、心身ともに健全に育て、幼稚園の中での保育者や子ども同士の交わりの中で、社会的なマナーなどを身につけていくことにあるといった内容であるといえる。ここで「小児ハ男女ヲ論セズ年齢満三年以上満六年以下トス」と幼稚園の対象を、男女問わず満3歳から6歳迄であるとしており、現行の幼稚園の考え方の基になっていることが理解できる。

幼稚園での保育時間についても書かれており、6月1日より9月15日迄は午前8時から正午12時迄で、9月16日より5月31日迄は午前9時より午後2時迄となっている。夏時間と、冬時間的な考えであったと思われる。1日4時間から5時間の保育時間ということが分かり、これもおおよそ今の保育時間(4時間を標準)に近いといえる。こうしてみると現行の幼稚園の礎はすでに明治9年に築かれていたことが分かるが、保育内容は欧米のものの模倣から始まり、恩物を形式的に子どもに展開する形式にとどまり、フレーベルの真の精神を理解しての保育展開ではなかったことが理解される。また、当時は富裕層の家庭の子どもが在園していた。余談になるが、そのような上流階級の子女が園児であったことから「お集まり」、「おうがい」、「お昼食」など「お〜」が連発されるいわゆる「幼稚園ことば」はこのときに始まり、現在に至っているといえる。幼児教育界の保守性を端的に表している例とも言えるのではないだろうか。幼稚園が一般化してくるのは明治の後半になってからのことである。

我国で真にフレーベルの教育思想の理解と実践が始められたのは、アメリカでフレーベルについて学び、アメリカの幼稚園での実践経験を持つA・L・ハウがアメリカ人宣教師として明治20年来日し、キリスト教主義とフレーベル主義に基づく保育者養成と保育展開を始めた頃になると思われる。さらに、現在も日本の保育に大きな影響を与え続けている倉橋惣三(大正6年より東京女子師範学校附属幼稚園主事)等の登場を待って日本の保育は充実してきたといえよう。倉橋は子ども中心的な考え方(児童中心主義の保育)を提唱した(児童中心主義の考え方はJ・J・ルソーに源を発し、ペスタロッチ、フレーベルという流れの中にある思想)。明治後期から大正、昭和へと時代は流れていくが、その中で戦争を体験し、軍国主義的な幼児教育がなされた時代もあったが、敗戦と共に民主主義の世の中になり、平和憲法が制定され、教育基本法、学校教育法などが施行された。現行の幼稚園の考え方は、戦後の現在の憲法に基づいた考え方で行われている。つながりを見てみると、日本国憲法における「第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」という教育を受ける権利を受けて、教育基本法が施行され、昭和22年に施行された学校教育法の第77条に「幼稚園は、幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする」と規定されている。学校教育法施行規則が昭和22年に施行され、第76条において「幼稚園の教育課程については、この章に定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する幼稚園教育要領によるものとする」としている。つまり幼稚園の保育のあり方については「幼稚園教育要領」に示されているということがいえる。

III.現行の「幼稚園教育要領」と保育

1.幼稚園教育の基本的な考え方

現行の幼稚園教育要領は平成元年に大幅な改正がなされ、それに修正を加える形で平成10年に改正されたものである。そこではどのようなことがいわれているのか、少し詳しく見ていくことにする。幼稚園教育要領は第1章総則、1幼稚園教育の基本、2幼稚園教育の目標、3教育課程の編成。第2章、ねらいおよび内容、健康、人間関係、環境、言葉、表現。第3章、指導計画作成上の留意点という構成になっている。

幼稚園教育要領の教育の基本は、次に示すとおりである。


幼稚園教育の基本

幼稚園教育は、学校教育法第77条に規定する目的を達成するため、幼児期の特性を踏まえ、環境を通して行うものであることを基本とする。

このため、教師は幼児との信頼関係を十分に築き、幼児と共によりよい教育環境を創造するように努めるものとする。これらを踏まえ、次に示す事項を重視して教育を行わなければならない。

  • (1)幼児は安定した情緒の下で自己を十分に発揮することにより発達に必要な体験を得ていくものであることを考慮して、幼児の主体的な活動を促し、幼児期にふさわしい生活が展開されるようにすること。
  • (2) 幼児の自発的な活動としての遊びは、心身の調和のとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して、遊びを通しての指導を中心として第2章に示すねらいが総合的に達成されるようにすること。
  • (3) 幼児の発達は、心身の諸側面が相互に関連し合い、多様な経過をたどって成し遂げられていくものであること、また、幼児の生活経験がそれぞれ異なることなどを考慮して、幼児一人ひとりの特性に応じ、発達の課題に即した指導を行うようにすること。

その際、幼児の主体的な活動が確保されるよう幼児一人ひとりの行動の理解と予想に基づき、計画的に環境を構成しなければならない。この場合において、教師は、幼児と人やものとのかかわりが重要であることを踏まえ、物的・空間的環境を構成しなければならない。また、教師は、幼児一人ひとりの活動の場面に応じて、様々な役割を果たし、その活動を豊かにしなければならない。5)

このことは、端的にいうと、幼稚園教育は「環境」を通して行うことが基本であり、子どもが主体であること、したがって一人ひとりの発達や特性に即したかかわりをしなければならないこと。そして幼児期の学びは子どもの自発的な遊びを通して行われるものであるということである。

つまり幼稚園の教育は、子どもが主人公であり、幼稚園という教育的に配慮された環境の中で、子どもが様々な事柄を子どもの自発的な遊びという実体験を通して、自ら学びとっていくものであるということである。自ら学びとっていけるように(保育者は直接教えるという形はとらないで)、環境に一人ひとりの子どもに対してのメッセージを込めて準備していこうということである。例えば、何人かで砂遊びをしている4歳児、よく見ると砂を盛り上げて大きな山を作っている。そこで保育者は、明日子どもたちはもしかしたら池を作りたいと考えるだろう。そして、遊びがさらに発展しそのことを通して、友との人間関係を深めて欲しい。という願いを込めて砂場の近くに、水が汲めるようなバケツやホースを置いておく。翌日来た子どもたちは、また山を作り始めるが、バケツやホースの存在に気づき水を砂場に入れて池を作り出す。そこでは、水を汲みに行く子ども、穴を掘る子どもなど様々な役割分担もなされ、人間関係の深まりが見られる。

といったようなことになる。簡単に言えば、このような保育のあり方が幼稚園での環境を通しての保育という意味である。この時、子ども自らが保育者の用意した環境に、自ら主体的にかかわったときにそれは初めて保育環境となる。

したがって幼稚園の教育では指導という言葉はなるべく使用せず、「援助」という言葉を使っている。つまり、主体者である子どもが遊びを通して様々なことを学びとることを自らできるように支えるのが保育者であるということなのである。ソクラテスは産婆法を説いているが、それは子を産むのは産婆ではなく妊婦であり、それを助けるのが産婆であるということである。教育作用も、答えを生み出すのは子どもであり、それを傍らで励ましたり、ヒントを出したりするのが教師の役割なのだということである。ここでは、保育者は人的環境として、子どもが気づき学ぶことを援助するということになる。現行の幼稚園教育要領はこの考えに一致する考えといえるだろう。また、前述した倉橋惣三の児童中心主義の考え方に一番近いのが、現行の幼稚園教育要領であるともいえよう。

2.家庭教育の補完としての幼稚園

幼稚園教育要領の「教育課程の編成」には、「(3)幼稚園の1日の教育時間は、4時間を標準とすること。ただし、幼児の心身の発達の程度や季節などに適切に配慮すること。」とある。幼稚園の保育時間はなぜ4時間が標準なのだろうか。幼児の体力を考えての配慮でもあるが、前述したように、フレーベルがいう真の教育は家庭によって行われなければならないという考えに基づいているといってよいだろう。幼児期の子どもは家庭が中心になって、親の愛に包まれながら育てられるべきで、幼稚園は家庭でできないところを補完するという考えなのである。つまり、家庭で補えないものとしての社会的な経験など(友達や保育者などの他者との生活、そしてそこでの共同的学びあいなど)を幼稚園でして、また家庭の生活に帰っていくのである。この考え方が子どもにとってふさわしい生活であるといえるのではないだろうか。

幼稚園教育要領の「幼稚園教育の目標」において、「幼児期における教育は、家庭との連携を図りながら、生涯にわたる人間形成の基礎を培うために大切なもの」であり、「生きる力の基礎」を育成するものであるとも書かれている。このことは家庭と連絡を図り、協力をしあって子どもの育ちを支えていくということが幼児期に重要であるということである。

しかし残念なことに、幼稚園教育要領の「第3章 指導計画作成上の留意点」において、「2特に留意する事項」において「(6)地域の実態や保護者の要請により、教育課程に係る教育時間の終了後に希望するものを対象に行う教育活動については、適切な指導体制を整えるとともに、第1章に示す幼稚園教育の基本及び目標を踏まえ、また、教育課程に基づく活動との関連、幼児の心身の負担、家庭との緊密な連携などに配慮して実施すること。」と謳っている。このことは幼稚園のいわゆる「預かり保育」のことであり、事実上4時間の時間枠を越えて幼児を預かることを認めていることとなり、保育園化への始まりとなった。時代の流れに逆らえず苦肉の策としたのであろうが、子どもの存在が置き去りにされ始めていることを物語っている。現在多くの幼稚園では保育終了後2時間から4時間あるいはそれを越えた預かり保育を実施するに至っていることは残念なことである。 これに対し、保育所が乳幼児を長時間(原則として8時間)預かるのは幼稚園と立場を異にして、児童福祉の立場から、親が就労、病気などのために、子どもが「保育に欠ける状態」にあるときに預かるということが基本的な考え方だからである。現在は、是も早朝保育及び延長保育などの措置がとられ、12時間預かりが標準化してきており、さらに夜間保育、休日保育などの措置もとられ始めており、大人にとってはありがたく、子ども受難の時代を迎えているといわざるをえない。

現在は、そこに、「認定子ども園」が2006年10月に誕生し、就労などの有無にかかわらず子どもを長時間預かることが可能になってきている。そこでは、保育の核となる短期滞在型の子どもと、長時間滞在型の子どもとの共通時間が設けられてはいるが、子どもにとれば同じ施設にいながら異なる生活スタイルが存在し、精神的に混乱を招く恐れがある。また、施設を増やすことに性急になり、保育者や保育の質の低下が懸念されてもいる。これらのことを我々大人が注意深く見守り、子どもの立場にたった乳幼児期の過ごし方を考えなくてはならないだろう。

IV.人としての真の豊かさを求めて

わが国は、経済的には発展を遂げ、先進国の仲間入りを果たしているということがいえよう。しかし、文化的な豊かさという点から見ると発展途上といわざるをえない状況である。わが国民は何を大事にするのか。この問いについてしっかり考えねばならない。ものやお金が全てではないことをもっと真剣に考えるべきであろう。子どもがいても安心して働ける社会ではなくて(それも必要でないとはいわないが)、親が安心して子どもと暮らせる時間を保証する社会をつくる必要があるだろう。子育てがやっかいなことでない考えを定着させることが必要であろう。以前デンマークの幼児の生活の映像を見たことがあるが、子どもが幼稚園から帰る時間くらいに両親が揃ってティータイムを楽しみながら、今日幼稚園であったことなどを話している姿があった。日本より経済的には発展していないかもしれないが、非常に豊かな生活を感じ取れた。

倉橋惣三は、家庭教育の重要性を説き「幼稚園の目的は家庭教育を補うにあり・・・補うことは変わることではない。・・・親はたとえいかなる不十分さを持つものでも、我が子のためには一番に人間的存在であり、心もちの豊富なる所有者である。そこに、幼児が、他のいかなる教育機関的教育からも得られないものを与えられる6)。」と述べ、さらに子どもに対して、環境に注意して、機会を捉えて、要求を充実する能力を持てば最良の幼児教育者であると、家庭が幼児教育の本質的場所であることを強調している。

家庭が中心となって、幼稚園が協力して、子どもとの豊かで、かけがえのない時間を共有できる生活を考え始めなければならないのではないだろうか。我々大人は、人としての子どもはどう育つべきかを真剣に考えなくてはならない。


〈参考文献〉
1)倉橋惣三『就学前の教育』フレーベル館 昭和40年 pp439−440
2)岩崎次男『フレーベル教育学の研究』玉川大学出版部 1999年 p242
3)荒井武 訳・フレーベル著『人間の教育』岩波書店昭和39年 p32
4)日本保育学会『日本幼児教育史」第1巻 昭和50年 pp91−92
5)文部科学省『幼稚園教育要領」平成10年
6)倉橋惣三『就学前の教育」フレーベル館 昭和40年 pp438−439