日本の少子化と子育ての孤立化
地域社会=集落の存在
家族・親族からの支援
結びにかえて
はじめに
本稿は、強い少子化傾向にある日本のなかで、相対的に高い出生率を保っている鹿児島県奄美群島の子育て環境について紹介することを目的としている。

近年、奄美群島は二つのことで注目を集めた。一つは長寿者が多い地域として知られるようになったことである。10万人あたりの100歳以上の人口が64.86人(全国平均18.05人)と際立って多いこと(2004年9月現在)、また記録的な長寿者 泉重千代翁と本郷かまと刀自がともに群島内の徳之島の出身であったことなどによる。そして、もう一つが出生率の高さである。厚生労働省が2004年に発表した市区町村別合計特殊出生率(女性が一生のうちに産むと予測される子どもの数の推計値)の順位で、上位10位までに奄美群島内の4つの町が入った。第2位で群島内最高値の天城町では2.81、群島平均では2.18で、およそ全国平均の2倍に近い数値であった。奄美は離島という地理的条件から人口流出が激しく人口の高齢化も著しい。一般に高齢化は少子化によって助長されるものであるが、奄美群島は例外的に高齢化と高い出生率が両立する地域としてその生活様式に関心が集まった。鹿児島県は2004年に「あまみ長寿・子宝プロジェクト」を計画し、各種の調査を実施するなどして、奄美群島の社会をモデルとして、子どもを安心して育てられ、高齢者が生きがいを持って暮らすことのできる社会環境の構築を目指している(1)。
奄美群島は鹿児島市の南方洋上380キロから500キロにわたって並ぶ奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の五つの島嶼からなる。群島全体の人口は12万6千人(鹿児島県統計課毎月推計人口 平成17年10月1日現在)、その内55パーセントが主島である奄美大島に集中している。行政的には鹿児島県に属すが、文化的には鹿児島と沖縄双方の影響を受けつつも、奄美群島固有の伝統文化を有する。産業は農業が中心で、他に魚や真珠の養殖業が行われている。特産品として大島紬、黒糖焼酎などを生産している。
日本の少子化と子育ての孤立化
日本の少子化の過程を簡単にふり返ってみよう。「団塊の世代」(1947〜49年出生)が生まれたころの合計特殊出生率は4.5前後であった。その後、徐々に下がり1950年に3.65、1960年に2.00となり、1970年代前半まではほぼ人口置換水準(それ以下だと総人口が減少しはじめる合計特殊出生率の水準)の2.10前後を維持した。しかし、1975年以降また低下しはじめ、1989年に1.57を記録する。この数値は「ひのえうま」の年(1966年)の1.58を下回った上に、人口動態統計史上最低値だったため「1.57ショック」と呼ばれた。その後も合計特殊出生率は下がり続けて、1995年1.42、2000年 1.36、2005年には1.25となり、イタリア、ドイツ、韓国とともに世界最低水準である(人口動態統計)。
合計特殊出生率の地域的偏差は一般に都市の人口集中地区で低く、離島や農業地域で高い。都道府県別にみると、全国平均 1.32に対して、最も低いのが東京都(1.02)で、次いで京都府(1.17)、奈良県(1.21)、神奈川県(1.22)、大阪府(1.22)、北海道(1.22)の順である。反対に最も高いのは沖縄県(1.76)、次いで福島県(1.57)、宮崎県(1.56)、佐賀県(1.56)、山形県(1.54)、鹿児島県(1.52)、島根県(1.52)の順である(2002年人口動態統計)。市町村(政令指定都市は区)別にみると偏差はさらに大きくなり、最も低い地域は東京都の渋谷区、目黒区、中野区、杉並区などで(0.75〜0.77)、高い地域は沖縄県と鹿児島県などの離島部(2.39〜3.14)である(2004年人口動態保健所・市区町村別統計の概況)。
それでは少子化の要因はなんだろうか。国立社会保障・人口問題研究所の第13回出生動向基本調査(2005年)によると、「夫婦が理想的と考える子ども数」が2.48となり、初めて2.50を下まわった。予定子ども数が理想子ども数を下回る妻(25〜29歳)に聞いた「理想の子ども数を持たない理由」については、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」(83.5パーセント:複数回答以下同)、「自分の仕事(勤めや家業)に差し支えるから」(27.8パーセント)、「これ以上、育児の心理的、肉体的負担に耐えられないから」(20.0パーセント)、「家が狭いから」(20.0パーセント)、「夫の家事・育児への協力が得られないから」(20.0パーセント)であった。経済的負担と職業、住宅事情による理由を除くと、女性が子どもを持つことに強い負担感を持っていること、夫の協力が不十分であることが大きな理由といっていいだろう。
子どもの数は減っているにも関わらず、負担感は増している事情について興味深い研究がある。品田知美の母子健康手帳副読本の分析である(2)。品田によれば現在、副読本に書かれている子育て法は子どもの欲求に可能な限り応えるやりかたで行う「子ども中心」の子育て法だという。これは1985年の改訂から採用されるようになったもので、その第一の影響は親の子育てにかける労力を増大させたことだと指摘する。たとえば授乳ついては、規則的に時間をきめて与えるのではなく、子どもが欲しがった時に与える。「抱きぐせ」について心配する必要は無く、抱くことで泣きやむなら抱いていいし、抱きたい時に抱いて問題はない。添い寝も推奨するという具合である。子どもの欲求に応えるというが、どこまで応えるかその限度は明確には示されていない。「できるだけ」といわれれば無理をしてでもしてやりたいと思うのが親の気持ちである。
届出のあった妊婦全員に無料配布される副読本は事実上「育児の国定教科書」であるという。少子化の中で、育児経験を共有しにくくなっている現在、親兄弟や親族から子育ての知識を得たり、手助けなどの協力を得られない場合、副読本はほとんど唯一の育児の指針となるからである。多くの母親は知らず知らずのうちに副読本に書かれている方法以外の多様な育て方があることに思いいたらなくなってしまう。親達は少ない子どもにますます手をかけるようなり、ストレスを募らせ、育児不安を高じさせ、果ては子どもを虐待してしまう場合もあると指摘する。副読本の内容と育児不安、児童虐待を直結させることには、若干の留保が必要かもしれないが、品田の研究から現代の子育てが孤立化し、硬直化しやすい状況にあることが読み取れる。こうした子育て環境が少子化をさらに助長しているとも考えられるだろう。
地域社会=集落の存在
奄美群島の子育て環境は上述の孤立化した子育てとは種々の点で対照的である。それは母親の周囲に子育てを助ける多くの存在があるからである。はじめに人々の生活空間である集落についてみてみよう。
奄美群島では徳之島、与論島などの島嶼をシマと呼ぶと同時に集落のこともシマと呼ぶ。集落は行政単位であるだけでなく生活共同体としての性格を持つ。集落の世帯数は大きなところで300世帯、小さいところで10世帯ほどが普通である。人々の集落に対する帰属意識はたいへんに強く、居住者の大部分が相互に個別認識できる関係にある。集落内にある子ども会、青年団、壮年団、婦人会、老人会などは公的組織であると同時に集落の自主的な寄り合いとしての性格がみられる。また、集落の人間関係は単に地縁的なものだけではなく、緊密な親族関係によって結ばれている(3)。これは伝統的に婚姻関係が地理的に近いもの同士の間で結ばれることが多かったからである。筆者の調査では同じ集落の者同士の結婚が歓迎されていて、実際にそのような縁組が世代を超えて繰り返され、結果的に集落内のほとんどの人が親族的に結びついている例がみられた(4)。集落の同年齢層の相手に対する呼びかけは兄弟姉妹に対する呼称が用いられている。たとえば、年齢が自分より上の男性には名前の後に「ニィ」(兄)を、女性には「ネー」(姉)をつける。自分と同年齢か年下の相手に対しては男女とも名前の呼び捨てである。集落の同年齢層同士が心理的にも社会的にも擬似的な兄弟姉妹的関係にあることがうかがわれる。
集落では日常生活上の共同労働・共同作業ばかりでなく、さまざまな年中行事、人生儀礼なども行われる。奄美の人生儀礼は、「年祝い」と呼ばれ出生7日目からはじまって、成長にしたがって百歳以上にまで祝い事が設定されている。学校教育が普及してからはこれに入園式、入学式、卒業式が加わった。こうした労働交換や行事は集落や近親者との連帯を強める契機になるし、特に高齢者の祝い事は年齢が高いほど盛大に行われ、高齢者の生きがいにもつながるものと考えられる。
集落と小中学校の関係は緊密である。教職員は集落内や集落の周辺にある教職員用住宅に住む場合がしばしばで、早朝の体操やランニング、有線放送をつかった朗読、放課後の生活指導など、教職員が集落内で子どもとふれあう機会は多い。青年団の年齢層に当たる教職員が青年団活動に参加している例もみられた。また、教職員は年中行事などに来賓として招待されるのが通例で集落の行事に積極的に参加している。子どもたちは家族、集落、学校のいずれの範疇においても密接な人間関係の中で育てられているという印象が強い。
また、そうした密接な人間関係の背景に保育所や公的機関の充実した子育て支援がある。最近発表された鹿児島大学医学部の下敷領須美子らの論文「奄美群島における子育て支援の実態」(5)によると「保育所の利用が活発で、町村、社会福祉協議会が協力して運営している、乳児保育からの対応があり、保育所の待機児童はほとんどいない、学童保育はないが、母親たちが協力しあって対応している。また地区(集落)を中心とした子ども会・婦人会活動、育児教室、家族ぐるみの活動が活発である」としている。保育施設の充実と住民の自主的な活動によって集落内が良好な保育環境にあることを指摘している。
ただし、その一方で「乳児検診の受診率が低い、母親学級、育児学級への参加が少ない、妊娠届けが遅く、妊娠28週以後の届け出が多いなど公的な支援制度が積極的に利用されていない」という指摘があった。これは公的支援以上に、地域や母親達の互助協力によるインフォーマルな支援が優先されているとみるのが妥当かもしれない。いずれにしても集落に公的支援を補完する機能が存在すると考えることができるだろう。
家族・親族からの支援
家族、親族による子育て支援は充実している。農業地域で家族・親族のつながりが密接であるというと、家族形態は三世代同居の大家族がイメージされるかもしれないが、奄美群島の世帯規模は小さく、核家族的構成が主流をしめている。成人した子どもとその親が同居する率は低く、同じ集落に住んでいても、親子は別世帯を構えるのが普通で、世帯の独立性は高い。しかし、親子孫の交流は密接である。奄美群島の場合、家族の独立性と世代間の連帯が、いいバランスで実現しているようにみえる。前述のように集落内が密接な人間関係にあるため、親世代は子ども達と別居しても孤立したり孤独を感じることが少ないのかもしれない。
論文「奄美群島における子育て支援の実態」でも「家族、親族、近隣からの子育て支援が豊富」であるとしている。その内容は「子どもを預けることができる」「野菜や惣菜をとどけてくれる」「相談できる人がたくさんいる」などである。また「大らかな子育て観・妊娠出産観」が存在するとし、「子どもはのびのび育てばよい、妊娠出産を特別なこととは考えず、子育て中のちょっとしたことについても"心配ない"、"問題ない"と認識する人が多い」という。これは周囲に支えられながら子育てが行われているが故にもてる育児観といえるだろう。
また、「子は宝」、「子どもは多い方がいい」という価値観の存在が指摘されている。奄美群島の場合、この価値観については祖先崇拝との関係を考える必要がある。奄美では祖先供養をたいへん重視する。毎日の位牌の供養はもちろん、墓地が集落に隣接している場合が多く、毎月旧暦の1日と15日には墓参りが行われる。盆行事、年忌供養も同様に大切にされている。これは奄美・沖縄に固有の祖先観に由来するもので、死者は子孫による33年間の供養を経て、初めてカミ(神)になり、祖霊として死後の世界の安定を得るという観念である。したがって、人々は親をはじめとする祖先の供養を大切にするし、また自らの死後は子孫による供養を受けることを強く期待する。祖先のために子どもを持つという認識にもつながる。さまざまな機会に行われる祖先供養の行事は離れて暮らしている家族全員を結集させる機会をつくるし、異なる世代や近隣の人々との連帯の契機をつくる。また年長者を尊重する価値観、敬老の精神にもつながる。こうした行事は多くの都市生活者が失った地域的連帯の機会ともなっている。
配偶者(夫)の育児参加については、日本の男性は一般に無関心で消極的であるという批判がなされてきたが、奄美群島の男性は総じて子育てに積極的である。それは夫婦関係のあり方とも関わるようで、奄美の夫婦関係は「農家の嫁」という言葉に象徴されるような夫や舅・姑の支配と嫁の従属といった上下関係とは異質である。相対的に対等な立場で家族生活を送っているように見受けられた。夫婦関係が対等である要因の一つとして特産品である大島紬の生産が主に女性によって担われていたため、奄美の女性には早くから現金収入への途が開かれていたことが考えられる。また縁組が地域的にも親族的にも近いところで行われてきたので、夫婦は幼なじみや同級生、あるいはイトコ、フタイトコなど親族的関係者である場合が少なくない。そして古くから奄美・沖縄に伝わってきたオナリ神信仰という宗教観念のなかに女性(姉妹)は男性(兄弟)の守り神であり、男性は日常生活で女性を守り大切にしなくてはならないという規範があったことがあげられる。日常のしつけのなかで男の子が女の子をいじめたり、針箱のような女性が使うものを男の子がまたいだりすると厳しく戒められたという。
論文「奄美群島の子育て支援の実態」では「性役割分業の意識は強い」としながらも「男性も子育ての生活を共有し合っていて、母子が孤立している状態ではない」という。子育て中の母親に対する調査からは、「家事の分担」、「育児の手伝い」、「仕事を休んで子どもを病院に連れて行く」などの支援を夫から受け、「夫がさまざまな形での一番の支援者である」という結果が報告されている。「子育てが楽しいか」という質問に88.5パーセントの母親たちが「子育てを楽しみながらしている」と答えていることが印象深い。
結びにかえて
奄美群島の子育て環境の特質を集約するならば子育ての負担を親、特に母親だけに負わせず、家族・地域・公的機関が連帯し支えあって子どもを育てようとする志向が強いことである。高い出生率もそのことによって実現しているといって過言ではないだろう。最後に、この連帯と支えあいを可能にしている二つの社会的条件について付言したい。
その一つは儀礼や行事の重視である。奄美群島での生活を観察すると、実に多くの年中行事や人生儀礼が行われていることに気づく。筆者は当初それらは古くから続いてきた慣習で伝統社会に所与のものと考えていた。しかし、継続して観察していると必ずしもそうとばかりはいえない要素がでてきた。実際にとり行われる儀礼や行事が、時代とともに変化するのである。社会状況の変化によってあるものは行われなくなり、反対に途絶えていたものが復活したり、まったく新しい行事が誕生したりすることが観察されたのである。それは人口の変化が激しくなった近年に限らないことも文献の中に見出せた(6)。連帯し支えあうには、そうした関係をつくる契機が無くてはならない。奄美の人々は積極的に儀礼や行事を利用して、その契機を作り、それを続けることで支えあう関係を維持強化しているものとみられる。また、行事や儀礼がもつ子どもの社会化の機能も無視できないだろう
そして、もう一つの条件は家族の独立性と家族同士の連帯が両立していることである。奄美群島の家族構成は核家族的で、三世代同居家族の率が低いことを上述したが、親世代の家族と子ども世代の家族が同一集落に住んでいても、親世代が子ども世代に対して特別に強い発言権を持つということはないという。独立的で対等な関係が保たれた上で、家族相互は時に応じて、また必要に応じて支えあう習慣ができている。親子の住居の理想的な距離について「スープの冷めない距離」という言葉があるが、相互の独立性を認めあって一定の距離を保っているが故に、いい関係が築けるという意味である。奄美ではこうした要素が親子関係に限らず夫婦関係、親族関係、近隣との関係など随所にみられた。日常生活上の連帯と支えあいは支配と従属の関係の中からは生まれにくいものである。
子育てが孤立化し少子高齢化が進行するなかで、家族と地域の新たなライフスタイルを構想するにあたって、奄美群島の事例は多くの示唆を提供するものと考える。
〈参考文献〉
(2)品田知美 2004年 『〈子育て法〉革命─親の主体性をとりもどす』 中央公論新社
(3)石川雅信 1983年 「奄美大島大和村の社会組織」 『南島史学』 第21・22号 南島史学会
1999年「奄美民俗社会における小家族と長寿文化」 『明治大学社会科学研究所紀要』第37巻第2号
(4)石川雅信 1986年 「奄美大島の老人問題」『家族研究年報』 第12号 pp32-35
(5)下敷領須美子 宇都弘美 佐々木くみ子 井上尚美 嶋田紀膺子 藤野敏則 2006年
「奄美群島における子育て支援の実態─保健師・母親への聞き取り調査を基に─」
『母性衛生』 第47巻1号 日本母性衛生学会
(6)崎原恒新 恵原義盛 1977年 『沖縄・奄美の祝い事』 明玄書房 p174