2.ある乳幼児虐待のケース
3.子育てがつらい母親たち
4.虐待を受けた子どもたちの心理療法
平成12年、児童虐待防止法の施行によって虐待の早期発見と通告義務についても明文化され、さまざまな取り組みがなされているにもかかわらず乳幼児虐待による悲惨な事件はあとを絶たず、虐待対応に関わる者として、また1人の母親として暗澹とした気持ちにさせられている。なぜ可愛い盛りのはずの乳幼児の子どもが虐待されてしまうのか、どのように母親をはじめとする養育者が育児困難に陥ってしまうのか、また、虐待対応としてどのような支援が求められているのかについて考えてみたい。
1.児童虐待防止法とは?
児童虐待とは子どもとの不適切なかかわり方をいい、児童虐待防止法第2条では以下のように定義されている。
(1)身体的虐待 | ─ | 児童の身体に外傷が生じ、または生じるおそれのある暴行を加えること |
(2)性的虐待 | ─ | 児童にわいせつな行為をすること、または児童をしてわいせつな行為をさせること |
(3)ネグレクト (養育の放棄、怠慢) |
─ | 児童の正常な発達を妨げるような著しい減食、または長時間の放置、その他の保護者としての監護を著しく怠ること |
(4)心理的虐待 | ─ | 児童に対する著しい暴言または著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと |
さらに、これらの虐待については保護者以外の同居人による行為と、同様の行為の放置についても同様であることが定められており、第3条では「何人も、児童に対し、虐待をしてはならない」と、広く児童への人権侵害の禁止を訴えている。
虐待というと、身体的虐待や性的虐待のような深刻な虐待ばかりが強調されているが、ネグレクトや心理的虐待にみられるような虐待は外からは見えにくく早期対応や通告に至らないまま長期にわたることもあり、子どもにより深い心の傷を残すことになる。
2.ある乳幼児虐待のケース
今や虐待による事件は連日のように報道されるので、虐待があたり前のように受け止められて記憶に残ることもなく忘れ去られてしまう現実の恐ろしさを痛感するばかりだが、私の中で忘れがたいのは平成5年、34歳の母親が1歳になったばかりの長男を自宅の浴槽に閉じ込めて水を出したまま放置し溺死させた事件である。児童虐待の調査・研究によると虐待をされる児童の家庭はひとり親家庭、経済的困窮など複雑な問題を抱えている場合が多いといわれているが、斎藤学(1998)の報告によると、事件を起こした母親の場合はそのような問題を抱えているわけではなく表向きは普通の生活を送っていたのである。母親の経歴を振り返ると、短大を卒業後、ある会社に入社、数年後に結婚、結婚後はパートの仕事をしながら10年間は平穏な生活を続けていた。実際には家事能力の欠如した母親にとって結婚生活はかなり心理的負担になっていたようだが、料理もせず自宅の風呂は使用せず銭湯に通い、お金の管理は夫にまかせておくことを夫も理解してくれていたことが大きな支えだったのであろう。夫と2人だけの生活であれば平穏な生活を続けることができたのかもしれない。それが夫や夫の家族の要求もあり、不安を抱えながら家族から励まされて出産したところから生活は一変する。出産後、頭痛、抑うつ感、無気力などの心身の不調が続き、授乳とオムツ替えなど最低限の家事をするのが精一杯で、母親は2階の自室で寝て、乳児は1階に1人で置かれていたという。実家の祖母や夫に育児のつらさを訴え、時々祖母が訪問してくれていたそうだが、つらさから解放されることはなく、追いつめられた結果として幼い命が奪われてしまうことになったのである。
この母親のように、家事や育児という伝統的な女性役割を受け入れがたい女性はそれほど珍しくはないのではないだろうか? 1歳前後の子どもはヨチヨチ歩きとともに自己主張が激しくなり(子育て経験のある方なら実感としてわかると思います)母親の陰性感情(怒り、報いられない感じ、子どもがいなければいいという感じ)を刺激し、2歳ごろにピークを迎え、トイレットトレーニングを乗り越えて3歳ごろまでに母子関係が定まり安定期に入るといわれている。つまり、1歳から3歳までは母子関係にとっては危機的時期であり、乳幼児虐待はこの危機的時期に"子どもといっしょにいることへのイライラがつのる"ようになって発現すると考えることもできると斎藤は指摘している。それはこの母親のように表面的にはごく普通の生活を送っているように見える母親にも起こりうることではないかと思われる。
3.子育てがつらい母親たち
私が関わったクライエントの方の中にも「子どもを可愛いと思えない」「子育てがつらい」と育児不安を訴えてカウンセリングを受けに来られるお母さんもいたが、彼女たちに共通するのは子どもが可愛いと思えないことに対する自責感で「子どもが可哀想」「夫に申し訳ない」「すべては自分のせい」と責め続け、抑うつ状態に陥っていることである。夫や実母が少しでも負担を減らそうと家事や育児の手伝いをしてくれても、彼女たちの心理的負担が軽くなるわけではないようである。たとえば、買い物に行ったり友だちと会ったりして一時的に気分の晴れることはあってもすぐに現実に戻されて憂うつな気分に襲われてしまう。「こうしてカウンセリングに来ている間は解放されるけれど、また家に帰れば同じことの繰り返しだと思うと不安でドキドキして胸が苦しくなります」と訴えていたお母さんもいた。
彼女たちに対しては、カウンセリングによって内なる自分を見つめていくというよりも私自身の子育てを振り返りつつ子どもの発達についてなるべく具体的に伝えて、子どもの発達のスピードは速いので今のつらさはもう少しでラクになることを強調して伝え励ました。たとえば、生後まもない乳児は2、3時間おきに授乳とオムツ替えをしなければならないけど、3ヶ月から6ヶ月くらいまでには(個人差はありますが)4、5時間以上寝てくれるようになり、それだけでも母親の負担は軽くなる。また、6ヶ月を過ぎると子どもを連れての外出もそれほど苦にならなくなり、母親の行動範囲も広がり気分転換ができるようになる。母親同士のお友だちもできると身近に心理的にサポートしてもらえる人がいるという安心感も感じられるだろう。1歳を過ぎ、歩きはじめて言葉も発するようになると子どもとのコミュニケーションもとりやすくなり、2歳頃から始まる第1反抗期も3、4歳頃までには落ち着いてくることや、そこまで来ると幼稚園に入園して解放されるのも間近であることを伝えてその時々の負担を少しでも軽くするよう努めた。そうして、あるお母さんは子どもが1歳近くになる頃、大泣きすると可哀想とか機嫌がいい時は可愛いと思えるようになったところで、また、あるお母さんは子どもが幼稚園に入園したところでカウンセリングは終結した。
私自身も、もともと母性の豊かなタイプとはいえないので仕事と子育ての二足のわらじをはきつづける中で育児のストレスを感じることもあり、保健所の保健師の方や子育て支援センターの方に相談してアドバイスしていただくこともあった。1人の子どもが健やかに生まれて育つことよりも大切なことはこの世の中にはなく、子どもが大切に育てられるためにこの社会は存在しているのだということを実感して励まされたのを覚えている。子どもが健やかに育つためには母親も心身ともに健康であるのがのぞましいことだが、そうでない時には自分自身を追いつめずに誰かに助けを求めるべきである。状況によっては子どもを乳児院や児童養護施設に預けて、心身を回復させたり生活を安定させることに専念することもできるのである。乳児院や施設に入所させても子どもとの面会や外泊などの交流は奨励されているので子どもとつながりが途絶えてしまうわけではない。また受け入れる準備ができた時に子どもを引き取って落ち着いた環境の中で育ててあげれば、離れていた時間などすぐに取り戻すことができるであろう。
4.虐待を受けた子どもたちの心理療法
最近では児童に関わる大人たちによる虐待の早期発見や通告によって深刻な事態になる前に保護者と分離され保護される子どもも増えている。一時保護されたあと、引き取ってくれる人のいない子どものうち2歳までの子どもは乳児院、2歳を越えた子どもは児童養護施設に入所することになる。児童養護施設にはさまざまな理由によって家庭での養育が困難な子どもたちが入所しているが、虐待を受けた子どもたちの入所が増えてきたことから平成11年より虐待された子どもが10人を越える施設には心理療法による心のケアを行う心理職員を配置することが決められた。私は平成12年に非常勤の心理職員として児童養護施設で勤めるようになり、虐待を受けた子どもたちの心理療法を行っている。(ネグレクトも含めると入所児童のほとんどは被虐待児に入るといえる)
児童養護施設に入所後にみられる虐待を受けた子どもの問題や障害についての調査・研究によると、知的発達の遅れ、仲間の子どもとの関係が結べない、多動、落ち着きのなさ、怒りっぽさと反抗、多食、多飲、爪かみ、性への強い関心、他の子をいじめるなどの問題行動が多いことが実証されている。乳幼児については3〜4歳の子どもの場合、睡眠障害(寝つきが悪い、夜驚症)、摂食障害、乳児返り、性的自慰(4歳以後が多い)、発達の遅れ(知能指数65〜80くらいで情緒的環境が改善されると正常レベルに達することが多い)、乳児における極端な無関心や無表情、幼児にみられる反応の鈍さ、大人に接するときの表情の乏しさや親しみにくさにみられる抑うつ反応、攻撃行動(他者への攻撃行動としても表現されるが、内向して自己破壊的行動の形をとることもある。弱いものや動かないものが対象になるが、年上の者や成人に向かうこともある。この場合、虐待している者に向かうことはなく、教師、保護の役目についた者、カウンセラーなど安全な人を対象にする)などの行動にみられるといわれている。
現場で幼児期の子どもたちと関わっていて感じることは、愛情欲求が満たされないことが原因と思われる症状が顕著にみられることである。具体的には指しゃぶり、爪かみ、多食のように他のことに置き換えて愛情欲求を満たそうとしている行動は多くの子どもたちにみられる。また、多動や落ち着きのなさ、反抗的な言動も入所している子どもたちにかなり頻繁にみられる問題行動といえる。また、虐待された子どもたちは"試し行動"といって好意的に関わってくる人に対してわざと嫌悪感を感じるようなことをしてどこまで自分を受け入れてくれるのか試そうとする行動をとることがあるが、大人の方が子どもたちの挑発に乗らずに安定した関わりを続けていくことの難しさを痛感することもある。皮肉なことですが、虐待された子どもは虐待されたことによって、さらに大人の虐待行動を挑発して虐待の傷を深めていくという悪循環に陥ってしまうということになる。この悪循環のサイクルを断ち切り、大人に対する信頼感を回復させることが心理療法の目標になるのである。
エリクソンの自我発達段階説によると乳幼児期に獲得される人生で最初の課題が"基本的信頼感"だといわれているが、この基本的信頼感とは自分は大切にしてもらえる存在で、無条件にこたえてくれる人がいると体感することで、このことが自尊心を育ててくれるので、無視されたり虐待されたりすると自尊心を育てることができないため、自分自身を大切にすることができなくなってしまう。信じられる対象もなく、自信もないままに成長した子どもたちは安定した人間関係を築くことができないため、家族や友だちや恋人など親密な関係においてさまざまなトラブルを繰り返すことになる。そして、悲しいことであるが、彼らが親になった時、彼らの子どもたちに対して虐待が再現されてしまうことも少なくないのである。(このことを"虐待の世代間連鎖"という。)
虐待された子どもたちへの心理療法は子どもだけではなく、親に対する支援も行い親子関係を再構築することが大切であるという考えから、児童相談所では虐待を理由として施設に入所している子どもたちと親たちを対象として家族の再統合を目的としたプログラムが実施されている。虐待に至らなくても育児困難を感じている一般家庭にもこのようなプログラムが広く応用され、早期に親と子どもに対する支援を行うことで虐待を最小限にとどめられるようになることを期待したい。
〈参考文献〉