内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第36号
特集:乳幼児期の探究I

幼児期における「社会性」育成について考える
田中 正浩 駒沢女子短期大学 助教授
1.はじめに
2.「社会性」の意味
3.「社会性」育成に関わる個と集団
4.幼児期の「社会性」育成の方法原理

1.はじめに

ムカつき、すぐキレる若者、その短絡的で衝動的な行動による事件、事故が、近年ニュース性をもって世間に取沙汰されてきた。些細なことで他人を傷つけ、時には死に至らしめるといった事態に、誰もが一様に驚きと言いようのない空しさを感じているのではないだろうか。ことの批判は、いわゆる「未熟」で「セルフ・コントロール(自己制御)」のできない若者へと向けられることになる。ここでクローズアップされるキーワードがいくつかある。「道徳性」や「倫理観」とともに「社会性」である。「社会性」の欠如、欠落した若者の言動、行動に批判が集まるのである。ところが「社会性」の欠如、欠落による問題事象などというのは、何も紙面の一面を飾るような悲惨な事件、事故にだけ見られるものでなく、周囲を見渡せばいくらでも日常的に存在することでもある。

例えば、我関せずと言わんばかりに周囲の目を気にせず平気でゴミを棄てる者。車内アナウンスで注意を呼びかけられている最中に平然と携帯電話をかけている者。「社会性」の欠如などはこのようなことにおいても指摘できる。しかし、これらの光景は若者だけのものだろうか。車内で携帯電話片手に声高に話しているのが、若者と呼ぶよりはもっと年齢の高い者であったりすることがある。騒がしいので目を向ければ、周囲が見えず話し込んでいるのは若者ではなく、その世代に批判的な目を向ける上の世代であったりする。今日の「社会性」の欠如批判は、ある意味すべての者を巻き込んだ現象と言っていいのではないだろうか。一体、「社会性」を身につけるということはどういうことなのか。どうすれば身につくのか。それは容易なことなのか、それとも難しいことなのか。

本小論は、問われている「社会性」の欠如の顕在化、常態化の原因・理由を探ることより、むしろ、筆者自身、保育者養成に身をおくものとして、子どもから大人への成長・発達の過程での「社会性」育成の在り方と、その方法原理について論究するものである。

2.「社会性」の意味

ギリシアの哲学者アリストテレスが「人間は社会的動物(存在)である」と指摘してみせた通り、人間として命を授かった者であれば誰もが当然のように「社会性」を身につけていてもよいのではないかとも考えられる。つまり、そのことが人間が社会的存在であるということを示していることになるからである。しかし、子どもがごく自然に社会的な資質を備えた社会的動物(存在)として成長・発達しているかというとそうではない。やはり、社会という他人同士の集団に適応し、──それは社会秩序に従うことでもあるが──、社会の一員として相応しい行動様式や資質を獲得していくということにおいて、「社会性」は身につけていくものであると考えるのが妥当であろう。アリストテレスの言葉からは、「社会性」というのは、第一に社会への適応性と、第二に社会をつくっていく意欲と社会を維持、発展させるに必要な資質能力といった意味を見出すことができる。

さて、子どもが、その成長・発達とともに「社会性」を身につけていく過程は、いわゆる社会化の過程である。子どもを無力で頼りない存在、受動的で依存的な存在として捉えた場合、その社会化の過程は、子どもに「社会性」を身につけさせる過程と見做(な)すが、子どもの有能性、能動性の面が強調されると、子どもが主体的に「社会性」を獲得していく過程と見做すことができる。今日では、子どもが主体的に社会に働きかけることを通して、社会的行動(様式)を学習し、自らが社会化していく側面と、周囲の人(親や保育者など)が子どもにその社会の文化を伝達しながら、子どもが社会に適応していくことを援助する側面の、2つの方向から社会化は進むと考えられている。

ここでは、子どもが所属する社会の生活習慣、価値観、行動基準といったものを獲得して、それらに基づいて行動するといったことを指しているのではなく、時として子どもは自分の所属する社会と対峙しながら独自のパーソナリティーを形成していくという個性化の過程を社会化の過程に含めて考えることになる。したがって、「社会性」とは、人間社会のなかで安全に、しかも適応して生きていくためのあらゆる能力や特性と考えられ、そこに所属する社会が支持する生活習慣や価値規範などを修得し、それらに沿った行動をするためのあらゆる能力や特性が含まれることになる。しかしながら、適応的な行動とかその社会の生活習慣、価値規範、行動基準に沿った行動というのは、没個性的にそれらに順応した行動をとるという意味ではなく、自己を確立し、社会をよりよい方向に変革しようとする積極的で能動的な態度も含めた意味をもつことになる。

3.「社会性」育成に関わる個と集団

このような「社会性」を幼児期において育成する、その方法論を考えてみたい。まず参考になるのが、日本と西欧の「社会性」育成の在り方、捉え方についての比較であろう。我が国の場合は、「社会性」の育成といったとき集合主義的態度の育成となり、西欧は個人主義的態度の育成になるというのである。つまり、我が国では、集団の安定のために、個人の自立性、自律性、協調性などを育成し、集団の和が保たれることによってそこで個人の幸福がもたらされるとしている。これはまさに日本の伝統的価値観であり、幼稚園や保育所、あるいは小学校などで、保育者や教師が、まず第一に集団の安定を基準に個人といったものを捉えていることにあてはまる。このような考え方は、「社会性」育成の実際的な指導の面にも現れてくる。入園当初、子どもたちは、園生活に必要な約束ごとや決まりごと(ルール、マナーなど)を種々教わる。と同時に、約束を守ることによって、園での生活を楽しくできることも教わる。それは、当然のごとく約束を守ることができなった場合には叱責されることになり、反面、集団の和を守ろうとする子どもは褒められることになる。

しかし、一方西欧の場合は、個人が幸福になることによって初めて集団全体がよくなるという考えがある。つまり、個人の安定を基準に集団を捉えている。先の例に続けるならば、入園当初の保育者の役割は、子どもたちに集団としての約束ごとや決まりごとを教えることではなく、幼稚園・保育所という集団がいかに自由であるかを説き、自由に振舞うことを勇気づけ、興味・関心をもつ範囲を拡げるように勧める。そうすることで、子どもは今までにない経験・体験をする。時には他者と衝突し、時には助け合うことを自らの経験・体験として学び、子ども自身による問題の発見と集団のもつ意味を考えることになる。さらに加えるならば、人間関係の中で、洞察力を修得していき、そして自身の洞察力に対して、繰り返しの経験・体験を通して自身で評価し、集団のもつ意味を自分の次元において理解し、翻ってそれは集団の中の自分の位置と役割を知ることになるが、「社会性」を形成していくことになる。以上のことを一般化するわけにはいかないが、両者の相違は、個と集団の捉え方が「社会性」育成の在り方において重要な鍵となってくる。

4.幼児期の「社会性」育成の方法原理

「社会性」育成の方法原理としては、以下の点が重要となってこよう。教育・保育の現場では経験則において認識されており、体系化、実践化ということにおいては難しさもあるが、整理しておきたい。

(1)知的発達と社会性の関連

教育・保育活動では、子どもの情緒を安定させ、情操を豊かにすることが目的のひとつとされる。同じように、子どもは他の仲間と仲良く生活すること、仲間集団に適応することを学ぶことになる。しかし、このことは人間のパーソナリティーの基礎が幼児期に形成されるということを示していながらも、幼児の知的側面のかかわりは軽視されている。知的能力は、時系列で自然に発達するというだけではない。むしろ、社会的、情緒的側面の発達のみを重視することによって、子どもをいくつかの要素に細分化し、研究対象とすることには問題がある。子どもを一面的に捉えてしまうからである。特に、幼児期の教育において、情緒的、社会的な面だけを強調して、知的側面はその後の教育・保育に委ねようという考え方は、人間を要素的に捉えようとする考え方に依拠していると言える。「社会性」の基盤を築くには知的発達が必要である。

(2)主体性の確立

「社会性」の育成において、まず個人の主体性の確立がなされる必要がある。それは、動機づけられた社会的行為が、行為として行われる以前に、子ども自身の内部で思考、葛藤し、その上で判断、決定を下すという指導が行われる必要があるからである。したがって、重要なことは、子どもが自身の行為に対して、自らの意思や責任で判断を下すという自己決定の機会をより多くもつという体験(経験)を意図するべきである。

(3)共感性と愛他的行為の育成

社会の中でよりよく生きるために必要なものとして共感性と愛他的行為があげられる。この場合、これらを育てる保育活動内容として取り上げるべきことは、共感の経験・体験である。愛他的行為の推進要因は共感性である。この共感性の育成は、乳幼児期の重要な発達課題である。共感性は、感情、情緒が分化する乳幼児期に基礎がつくられ、思いやりを共感の概念と同義と捉え、思いやりは他者の評価を意識したり、自己報償を意識した行動ではなく、何気ない行動として捉えていく。

(4)共感的理解を基盤に据える

幼児期は、その思考や行動において自己中心的であり、利他的、愛他的な存在であるとは言い難い。したがって、他者を思いやり、気持ちを汲み取り、考え、行動するといった他者の気持ちを理解できる能力、他者を尊重する態度を形成することが必要となる。つまり、社会の中で生活する上で必要とされる基本的な習慣、態度、能力といった「社会性」の基盤を子どもの中に築くことである。「社会性」育成においては、約束ごとや決まりごとを無理やり守らせるために罰則を設けたり、強制的に与えられた役割や責任を遂行させることは好ましいこととは言えない。子どもに対しては共感的な理解を基盤にして約束や責任の重要性を徐々に理解させていくことが大切である。子どもは、思いやりをもつことで自己受容が可能になり、他者受容すなわち共感的理解も可能となってくる。自己受容と他者受容を繰り返すことによって、共感性がより発達していくことになる。

(5)自己主張と自己抑制の育ち

私たち日本人は、対人関係において自己主張することに心理的抵抗をもち、反対に、対人関係において自己抑制が我が国の文化、社会のなかで伝統的に重んじられてきた。「社会性」には、他者と協調する側面、いわゆる調和と自己の欲求を実現する側面、いわゆる独自性の二つの側面がある。したがって、対人関係における自己主張と自己抑制、この両者が子どもの中に育まれていくことが望ましい。

以上は、「社会性」を育成する際に考慮すべき事柄として抽出したものであるが、当然、これらに限定すべきでないし、これらを一般化することも難しい。ただ、明確にしておくべきは、本来「社会性」とは、人間相互の接触を通して、社会的な生活環境に正しく適応し、自己の主張と他者からの要求とを調和させていくことのできるような性格傾向を意味してきた。幼児期というのは、自他未分化の自己中心性の時期にあり、他者への意識や社会意識さらには道徳意識や倫理観などについて十分に発達してない。しかし、幼児がまだ社会的でないということは、近い将来においてその発達の可能性を内包させているということであり、子どもが現在自己中心時代であればこそ、集団生活の中に積極的に参加させることによって、望ましい社会的生活適応の能力や態度を基礎・基本として育成していくことがより一層必要になってくる。


〈参考文献〉
(1)門脇厚司『子どもの社会力』岩波新書 1999
(2)加藤定夫『子どもの社会化と幼児教育』厚生閣1982