I.事例研究の意義
II.保育者の悩み
III.園文化と悩みの質の関係
*** おわりに 保育者の専門性を育む園文化 ***
はじめに
2007年は教育基本法の改定における幼児教育の重要性の明示から始まり、幼保一元化、認定子ども園、バウチャー制導入の可否など、社会における幼児教育の必要性や価値、意味が戦後このような形で問われている時はない。そのような時だからこそ本質に迫る研究が問われているのではないだろうか。昨今の研究の流れが、時代の趨勢に合わせた制度論、子育て支援などが増加傾向にある中で、筆者は現場での担任の経験から幼稚園の運営、そして養成校の立場として約20年間障碍のある子どもを含む保育の研究に携わってきた。
その中で、最終的には保育者の専門性が大変重要であることが見えてきたのである。専門性とは何かを一言で表現するのは困難であるが、本稿では園の文化との関係の中で、保育者が育つこと、そして子どもが幼児期にしっかりと育つことの大切さと、その意味を少しでも明らかにし、幼児教育の重要性と価値を現場の視点から明らかにすることで、その本質に迫りたいと考える。
I.事例研究の意義
保育研究を考える時に、その内容は多岐に渡る。それは、保育方法に関する研究、保育内容に関するもの、その広がりは昨今の日本保育学会の研究論文(1)にその一端を見ることができる。筆者の研究のスタンスは同学会において、当初から事例研究にその出発を試みた。(2)それは保育者が悩みを持つ時に、常に出発が子どものわからなさから、また幼児の理解に関するものであったからである。特に、クラス担任をしながら日々子どもとかかわっているとその忙しさに紛れ、子どものことを語る時間がなくなるばかりか、日々の活動の準備や親の対応などに追われることで、保育者の仕事が完全に手一杯になってしまうことが多い。そのような現状を打破するために、筆者は子どもの姿をビデオで撮影しながら子どもの内面を探ることや、カンファレンスによって多様な理解が語られる研究にかかわってきた。その結果、子どもの見方に変化を生むことが見えるだけでなく、翌日の保育の時には今まで見ていた目の前の子どもに対する対応の変化や理解の変化が生まれ、保育の方法や内容にも大きな変化が生じる保育者の姿が見えてきた。このようなことは日々の現場の中で積み重ねられているものと思われるが、そのことが「研究」として意味を持っていることが今まで認知されていなかったのではないだろうか。
しかし、事例研究を積み重ねていくと、子どもを出発にした研究から、様々な側面が見えてくることが分かり、その価値が明らかになってきた。特に、障碍のある子どもの理解の難しさや、障碍の有無にかかわらずかかわりが難しい子どもの対応など、日々保育者が直面している悩みの解決に生かされる場面が研究会の積み重ねから多く見られるようになってきたのである。
事例研究と保育の質
事例研究の積み重ねは、単に個人の研究や保育観に反映され、子どもの育ちにつながるだけでなく、時に園の保育の在り方や保育の方法、行事の在り方など、保育の質につながる検討の機会を与えていることが見えてきた。保育の質とは何かを明確にすることは難しいが、「子どもにとっての園生活」をキーワードに、子どもの育ちを保障するためには個々の子どもの園生活が充実し、園の保育が一人一人の育ちにつながるような生活の潤いを生み出すことが必要である。また、保育者が自分の仕事に生き甲斐とやり甲斐を持って取り組むことの出来る幼稚園になるためには、日々のマンネリ化した日常から、主任や副園長、園長などが意識して事例研究を行い、保育に潤いと変化を与えながら、自園の保育を見直す機会を意図的に作る必要がある。
そのような意識を持たないと、毎年同じ保育の繰り返しになり、保育者が悩みを持っていることにも気付かず、難しい側面を持つ子どもに出会っても問題の根本が解決しないまま保育者のみが悩みを抱え、最悪の場合は、そのことが負担になって退職するようなケースさえ発生しているのである。そのような悪循環を断ち切るためにも1日でも早く各園が自覚し、自園の保育の在り方や子ども観、保育の在り方などを考える機会を作ることで、保育の質の向上に繋がることを現場が意識する時に来ていると考える。
II.保育者の悩み
筆者は養成校における教育実習、教育インターンシップ(3)、就職指導、就職後の学生相談、また、幼稚園協会などにおける管理職とのかかわりなど、学生を送り出す立場と教員を採用して園を運営する立場を有している。その体験の中で、学生の資質の低下の問題や、就職後の教諭としての資質、また、教育実習における学生の耐性の無さ、基本的な生活力の低下、保育者として必要なスキルの問題など、取り上げれば限りない問題に日々出会っている。そのような状況の中で、筆者が養成側の立場に立ったことによって、学生の資質の問題や養成校のカリキュラムなど、単純に学生や養成校を非難する現場の姿勢に疑問を感じることが多くなってきたのである。
採用した学生の資質の問題は確かに養成校の養成過程の問題であり、そのカリキュラムに起因していることは否定できない。しかし、筆者の立場からすれば、採用試験を実施し、自園に合うであろう教諭として採用したならば、就職後は各園が保育者として育てていくことが現場の課題であると考える。それは、専門学校、短大、4年制大学によって質は異なるものの、多くの学生は保育者を目指して保育の現場に入っていく。しかし、現場に入ってからの悩みや葛藤は絶えることなく、その大きさや重さに耐えかねて早期に退職するケースが後を絶たない現状は、保育の世界にとって今後大きな問題になってくると予想される。
こうした保育者の悩みを、(1)卒業生の悩みの相談 (2)卒業生を対象とした研究会での悩み (3)研究会で提示された事例研究から見えてきた悩みの3つから検討し、悩みの質と園の文化について考察していく。
(1)卒業生の悩みの相談
養成校の教員にとって、自分の授業を丁寧に実施することが本務であることは誰も否定することではない。しかし、教員の養成に携わることによって、その仕事の幅は増大していることを多くの教員が感じているのではないだろうか。もちろん、自分の授業だけを死守しようとする人にとっては無縁であるが、現場との交流や実習の訪問など、授業以外で学生と相談する機会が増えることで、現在の学生の気質が見えてくるのである。学生の質が変わったなどと良く言われるが、質が変わったのは確かである。しかし、現場が求める保育者の資質は大きく変わっていない。つまり、そこに現場の求める保育者の姿と、養成校が送り出す卒業生の姿にギャップがあり、その狭間に立つ卒業生が強い悩みを持つことが多いのである。
Aさんの場合
卒業生のAさんは、成績はいたって優秀で、私立の幼稚園に就職が決まり大変喜んで保育の道に入っていった。筆者はその学生の授業担当、実習、就職活動と常に相談を受けていた。詳細は割愛するが、Aさんは就職1年目の5月の連休の頃には退職の意志を明らかにした。その理由は同期に入った他大学からの学生との比較である。単純に園が2人を比較したわけではないが、明らかに自分が保育者としての資質を欠いていることを自覚するような場面に出会い、自信を無くしていった。
筆者はその卒業生の相談を受ける中で、就職した園の文化が見えてきた。それは「園の中にある確固たる保育者像」である。その園には、園が求める保育者の姿があり、そこから外れていたり、その姿と違う行為をすると先輩からかなり厳しく指導がある。同期で入った先生は、早くからその姿に到達していることからAさんと比較され、自信を失っていったのである。このようなケースはどこの園にもあることであろうが、1年目の先生に対する園の指導の在り方によって自信を失い、深い悩みを持つケースである。
Bさんの場合
卒業生のBさんは、成績は中程度で、クラブ活動やゼミなどでも中心的な役割は担うものの、人前で話すことや、仕事が遅いことなどが学生時代から顕著で、筆者としては就職後が大変心配な学生であった。しかし、就職後たまたま実習訪問で1年目の姿を見させてもらったところ、大変明るく生き生きと保育をしている姿に出会ったのである。本人に聞いてみても「楽しいし、子どもが可愛いです」とのことであった。園長に聞いてみると、仕事上のミスは多々あるけれど、1年目なりによくやっているとの評価をいただき、安堵して帰ってきた。
以上の事例から見えてきたことは、Aさん、Bさんを学生時代に比較すれば、明らかにAさんが優秀な保育者になり、Bさんに対しては保育者になって「大丈夫だろうか?」と常に疑問が消えない学生であった。しかし、現場に入ってみると、出来ないことが多くても保育者として認められ、周囲のサポートを受けながら少しずつ保育者としての姿に変化し、苦労しながらも楽しく保育者としての仕事ができるような場合がある。そう考えると、単に学生の資質だけが保育者としての良否を決めているのではなく、園の持っている固有の文化が大きく影響していると考えられる。
Aさんの就職した園文化の特徴
- クラスの意識が強く、担任になったら担任の責任によって運営される
- 確固たる保育者像から外れる場合には強く指摘され、その後のフォローが少ない
- 新任の保育者がミスをしないように監視的な役割の先生が身近にいる
- 日々緊張感の中で保育をすることが多くなり、精神的なストレスが高い
Bさんの就職した園文化の特徴
- クラスは任されているものの、常に周囲にフォローする体制が整っている
- 確固たる保育者像ということよりも、その人の持っている特性を生かして保育ができる状況を園として提示している
- 緊張感はあるが、保育者のミスや失敗が起きる前に事前の話し合いや相談がし易い環境にある
以上のことは、上記の事例のみから判断しているのではなく、教育実習生に対する指導や教育インターンシップ、また多くの就職後の相談の中から見えてきたのである。また、園文化についても、必ずしもAさん.Bさんのような両タイプの園に分けられるものではないし、園の中にも二分する考え方が混在している場合もあることを明記しておく。
(2)卒業生を対象とした研究会での悩み
本大学では平成18年度より、卒業生を対象としたささやかな研究会を実施している。それは、養成校として単に現場に送り出す仕事から、送り出したその後の卒業生の動向を把握すると同時に、教員養成のカリキュラムに対しての見直しや、研究の機会を大学として作っていくことを目的としている。(4)
この研究会では、大学教員の講演、分科会においては現在の立場や保育の在り方を語ることを中心に運営している。
研究会の詳細は割愛するが、23名の参加の中で次のようなことが明確になった。 経験年数は1年目から7年目が中心の卒業生で、この仕事に就いてから辞めようと思ったことがある先生が23名中18人いた。また、園の中に悩みがある時に相談する相手がいる先生が23名中22名で、相談相手がいない先生が1名であった。
悩みの内容について聞いた所、次のようなことが中心であった。《保護者の対応》 《同僚との関係》 《仕事量の多さ》 《退勤時間が遅いことと待遇》 《行事の多さ》 《通勤時間》 《小学校との連携の難しさ》 《気になる子どもとのかかわり》 《日々の子どもとのかかわり》《園舎の環境》 《研修や勉強する時間が無い》 《出産後仕事が続けられるか不安》 《保育内容》など、仕事全般に渡るもので、辞めたいと思った理由として多かったのが 《子どもとの日々の悩み》 《上司との関係》 《保護者の対応》 《仕事量や行事の多さ》 であった。
しかし、この研究会に参加した卒業生の大半は、この仕事を続けたいと思っている人が多く、保育に対する意識が高く、自ら語ることによって自分の保育を振り返るなど、意欲的な参加が多かった。このような研究会は継続的に実施するべき要望が強く、大学として現場の保育者を支えるリカレント教育などのシステムを構築する必要性を感じされられた。
この研究会で特筆すべきことは、上記の「悩みを相談出来る相手がいない」保育者のケースである。仕事上の悩みは《上司との関係や勤務時間》《仕事量の多さと待遇》が中心的な悩みとなり、自分の思いを園の中で語れないことの重圧を自覚しているケースである。園の文化として、自分の悩みを語る相手がいないような場合は深刻なケースになることもあるので、外部機関の役割も大きくなってくると思われる。
(3)研究会で提示された事例研究から見えてきた悩み
横浜市幼稚園協会における障碍のある子どもの保育を考える研究会において、筆者は11年間この研究会の担当として保育者の悩みを聞く機会を持っている。(5)
この研究会の平成17年に実施した中で、研究会の中で出てくる保育者の悩みの質を検討した。詳細は保育学会第59回大会論文集参照。(6)
III.園文化と悩みの質の関係
各園には建学の精神に基づいた保育の目標や方針、また教育課程が編成されている。それは、各園が意識して明文化している部分であるが、実は各保育者や運営者には無自覚な文化が内在しているのである。その明確に見えない文化が保育者集団を支配していたり、暗黙の了解事項を作っていたり、明文化されたもの以上に教職員集団を支配している場合がある。
保育者が抱える悩みについて考察した結果、次のようなことが浮き彫りになってきた。それは、悩みの質と園文化の関係である。保育者の悩みは大きく分けて次の三つの質から成り立っているケースが多い。
(1)入門的悩み (2)中間的悩み (3)熟達的悩み
(1)の入門的悩みとは、経験年数だけで顕著になるのではなく、園の保育のあり方や保育の質によって出現すると考えられる。その内容は次のようなものである。
- 保育者の知識不足
- 担任が一人で抱え込む
- 保育の全ての責任を負わされる
- 保育の中で課題をこなすべき要素が強い
- 保育の方法論的な悩みなど
(2)の中間的悩みとは、子ども同士の関係や、保育のあり方が検討の視野に入ってくるような問題である。
- 障碍のある子どもが存在する場合、他の子どもとの関係
- 保育に参加できない状況の克服についての悩み
- 行事のあり方と障碍のある子どもの参加など
(3)の熟達的悩みとは、園の中での他の先生との連携や園と他機関との連携など、自分のクラスや園を超えた、開かれた悩みの質に変化してくるものである。
- 園内の保育者間の連携
- 保育のあり方の問題に検討を加える
- 障碍のある子どもの保護者や他の子どもの保護者への視点
- 専門機関との連携やその方法論の検討
- 保護者の悩みの受け皿的要素
以上の三つの視点は必ずしも明確に区分出来るものではないが、この類型化によって、質的相違が明らかになる。入門的悩みにいつも翻弄しているような保育者の場合は、子どもの育ちや保育のあり方への省察というよりは、日々の保育をいかにこなしていくかが大きな課題となり、明らかに落ち着きの無い保育にならざるを得ないケースが多い。
中間的悩みの場合は、自分の保育のあり方の検討や、保育の中で育つ子どもの姿が少しずつ見えてくるケースが多いので、余裕を持ちながら保育に取り組むことが可能になってくる。しかし、その結果、新たな悩みや問題が顕著になってくるために、悩みの質が変化してくる場合が多い。
熟達的悩みの場合は自分の保育を他者に開き、他者との交流の中で問題を解決していくことに意識を持つ場合で、この類の悩みは本人だけの問題ではなく、他者性の中での解決に迫られるため、本人のコーディネート能力や共同性が問われる場合が多い。
更に(1)〜(3)の悩みの質には、個人の保育者の問題によって顕著になるケースと、園の保育のあり方や体制によって顕在化するケースがある。個人の問題で解決できる場合は、自分が変わることや、保育のあり方を検討することで解決する場合が多いのであるが、園文化の問題によって悩みが顕著になる場合は、解決困難な場合が少なくない。
以上のように、園の文化と悩みの質には相互に関係があり、園の体質や文化に手を掛けていかないと保育者の悩みや育ちに繁栄されないケースがあることを考えると、保育の現場が自園の文化を自覚する必要がある。また、日常見えないケースの場合には第三者の目を借りて、その文化の中に埋没している部分に気付いていかなければならないのである。自身の園文化に気付き、事例研究や園内研究を行う中で、ささやかな子どもの育ちや保育者の小さな悩みに対して園全体が目を向け、その悩みを共有したり、また解決のプロセスを丁寧に追いながら保育の質の向上と保育者の育ち、そして専門性が育まれる文化への変容が求められている。
おわりに 保育者の専門性を育む園文化
大学全入時代を迎え、各養成校は自校の学生の確保に奔走することは生き残りとして当然のことである。しかし、保育者養成の本質を歪めるようなことなく、保育の質を探求すること、及び保育者の専門性を育むことは、時代の要請として最も重視しなければならない。これは、全ての保護者や現場、養成校にとって必須の条件であると筆者は考える。その実現のためには、今ある保育実践の見直しを各園、そして各保育者が意識しなければならない。それは保育を変える、保育内容の見直し、行事の改革などの目に見える部分もあれば、非常に目に見えにくい「園文化」の自覚と改革によって可能になる場合がある。
保育者が生き甲斐とやり甲斐をもって日々保育に取り組む中で、自己の課題、子どもの課題を見いだし、その解決のために自己を改善していくプロセスの中に子どもの育ちと保育者の育ちが見えてくる事例研究の積み重ねは、その課題を明確にしてくれると考える。今後は、養成校と現場が更に手を結び、養成課程からの連続した育ちを支えるシステムの構築が必要となってきている。そのことが専門性の育成と現場の質の向上につながり、幼児教育の重要性の認知や保育者の職業としての地位の向上につながると考えられる。
そのために、現場、養成校、そして一人一人の保育者の努力を認め、その育ちを支える研究を筆者の今後の課題としたい。
〈参考文献〉
(2)日本保育学会第48回大会〜第50回「保育の物語を探る事例研究の試み」 (1)〜(5)
若月芳浩 大豆生田啓友 渡辺英則 高杉展 他 1995〜1997
(3)玉川大学教育学部におけるインターンシッププログラムで、平成15年より開始され、
学生が週1回、半期の間現場で活動するシステム(2単位が付与される)
(4)玉川大学学術研究所 全人教育研究所幼児教育研究会 2006〜2007
(5)横浜市幼稚園協会 特別研究委員会「どの子にもうれしい保育の探求」 1995〜
(6)日本保育学会第59回大会 「障碍のある子どもを包括する保育実践の方向を探る」