内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第37号
特集:乳幼児期の探究II

薫陶の力
(財)日本教材文化研究財団理事長
東京学芸大学名誉教授

杉山 吉茂

朝日新聞のコラムの中に、中国人から「日本には、もう習うことはない」と言われたことに対し、中国人のコラムニストの莫邦富さんが、鋏を手渡すときに、中国人は無造作に手渡すが、日本人は刃を相手に向けないように手渡すことをあげ、そういう礼儀などの文化の面で見習うことがまだまだあるということを伝えたという話があった。刃物を手渡すときに、刃を相手に向けないことなど当然のことと思っていたが、当然のことでないことに驚くと同時に、自分達で気づいていないよい面が日本人にあることを認めてくれている外国人がいることを知ってうれしかった。

同じようなことは、中国を旅行したときに、中国の添乗員から言われたことの中にもある。旅行者がホテルを出た後、中国人の部屋は散らかし放題になっているのに、日本人の部屋はきれいに整理されているという。日本人でも散らかし放題で宿を後にする人もいるだろうが、中国人の添乗員が言うように、多くの日本人はある程度整理して宿を後にするであろう。「なぜですかね」と添乗員に聞かれたので「日本には『立つ鳥跡を濁さず』という言葉があり、それが身についているからではないかと思います」と答えたら、感心されてた。

最近、若い人(今は、若い人にかぎらないが)の行動が問題にされ、道徳教育を強化しようと言われている。学校での道徳教育も大事であるが、われわれが身につけているよい態度・姿勢がどうして身についているかを振り返ってみて、それを生かすことも考えてみたい。

日本では、宗教にこだわる人は少ない。年の始めに神社に初詣に参り、お寺で葬式などの法事をするが、神道を特に信じているわけでも、仏教を特に信じているわけでもない。何かの機会があれば、神社やお寺にお参りするが、普段はなにもしない人が多い。教典を読むこともない。普段にお祈りするわけでもない。

イスラム圏の国々に行くと、拝礼のサイレンが1日に何度も鳴る。すべての人がお祈りするわけではないが、毎日何度でもお祈りする習慣があるし、自分の信じる宗教へのこだわり方も大きい。諸外国では、宗教のお蔭で、道徳的な教育ができていると言われるが、我が国にそのようなことはない。日本人も、広い意味の信心はあるのであろうが、一つの宗教への信心はないと言っていいであろう。

それでも、日本人は外国人に負けないくらい道徳的である。外国人は神様が見ているから、人がいないところでも悪いことはしないと考えるそうであるが、日本人にその意識はない。人が見ていなくても、神様とは関係なしに、悪いことはしないようにしている。母は「天知る、地知る、人(自ら)が知る」とよく言っていたが、見えないところでも悪いことをしないのは、そう言われてきたからだけではないように思う。日本人は悪いことはしないようにしようと、自らを律しているように思う。

宗教がなくても、そうなっている理由は分からないが、言葉では伝えられないが、私は、日本を覆っている空気のようなもののお蔭のような気がする。人々の中にそれがしみ込んでいるような気がする。「薫陶を受ける」という言葉があるが、日本人がお互いに、そうなっているような気がする。

外国に行くと、大声でわめきちらしている風景を見ることがある。日本では、特別のことがないかぎり、そのような風景は見られない。台湾の人に言われたことがあるが、「日本人は静かに話す」という。大声で話をしている風景を見ると「活気があるな」と思うのだが、一方では「品がないな」「がさつだな」とも思う。

日本では、町なかで、クラクションの音を聞くことは少ない。国によっては、クラクションがなり響いているような国もある。昔は、日本でもクラクションの音をよく聞いたものであるが、今はほとんど聞かない。「クラクションは鳴らさないようにしましょう」と学校で習ったわけではない。法律で強制されているわけでもない。親から教えられたわけでもない。それなのに、みんながそれを守るようになっている。としたら、日本には、無意識のうちにそれを伝えあい、言われなくても、その空気を感ずる力をもっているように思える。

日本には、昔から、そのような文化の空気があったようである。江戸時代の宣教師が母国に送った手紙などの中に、日本人の生活態度、文化の高さを讃えるものがたくさんある。にこやかに、もの静かに行動する日本人。識字率の高い日本などなど、いろいろな国を見てきた宣教師がみな認めていることである。その文化的な空気が、今に伝えられていて、その空気によって、われわれが律せられているように思う。

戦後、古い日本を否定することから、その文化の空気に傷がつけられたようであるが、まだまだ残っている。モンスター・ペアレントと言われる大人もいるが、その人達は、昔のよい空気から阻害された人々にちがいない。でも、その人達も、やがて、日本のよい空気にさらされているうちに、日本人らしくよくなるのではないかと思っている。

日本を覆っているよい文化の空気を大切にすると同時に、そのよい空気を取り入れる感性を養うことを大切にしたい。その基本は、相手のことをおもんぱかること、自分のしていることが他に及ぼす影響を察すること、周りの空気を察する気持ちなどからなっているように思う。

文字や言葉を通して道徳教育をすることも大切だが、よい日本人がつくる文化の空気も大切にしたい。それが、日本のよい文化を作ってきたと信じるからである。