トルコを一周する2週間の旅をした。お祈りの時間を伝えるイスラム寺院のある風景だけでなく、トルコに行かなければ見ることができないものもいろいろあった。特に、世界に類を見ないカッパドキアの奇岩群は、10メートル以上もあるキノコのような形の奇岩(「妖精の煙突」といわれている)の群なのだが、その奇岩がくり抜かれて中に教会や住居があるのに驚いた。高い崖の上の方には、崖を掘り抜いてつくられた住居もあった。家の中に入れていただいたが、そこには、普通の家と変わらない広い空間があった。
パムッカレでは山の上にある温泉から流れ落ちた石灰を含んだ水のために山全体が真っ白(「綿の城」とよばれている)になっている奇観にも出会った。山腹には、鍾乳洞の中に見られる千枚皿を大きくしたような石灰棚が何枚もあり、現在は制限されているが、その石灰棚の湯の中を歩き、上り下がりすることもできた。一枚、一枚の棚の広さは段々畑の広さより広い。その規模の大きさは見事なものであった。
初めて知ったこともいくつかあった。たとえば、アジアとヨーロッパの境界が、イスタンブールにある海峡であること、古代ギリシャの叙事詩「イーリアス」に出てくる「トロイの木馬」のトロイの遺跡がトルコにあること、トルコ最大の古代ローマ遺跡エフェソスの近くには、聖母マリアが晩年を過ごしたという家があることなどなど、意外に思うことがいくつもあった。
トルコの人々が親日であることはよく知られている。実際、日本人と分かると、優しい目つきで迎えてくれる人もいる。子どもの中にはニコニコと笑いながら握手を求めてくる子もあり、気持ちのよいものであった。その理由は、日露戦争で、アジアの小国の日本が大国のロシア(歴史上、トルコを苦しめてきた)を破ったことを共に喜び、バルチック艦隊を破った東郷元帥や乃木大将の名とともに尊敬していることにあると聞いていたが、ガイドの人に聞くと、それだけではないという。
明治時代(日露戦争の前)にトルコの使節団が日本を訪れ、天皇に謁見した帰途、和歌山県沖で暴風雨に会い、岩礁に乗り上げ遭難した。そのとき、紀伊大島の村人達が高い崖を下りて、命懸けで70人余の人を救助するとともに、身を寄せて冷たい体を温めるなど親身になって世話をし、その後、神戸の病院に移して看護をし、翌年トルコに送り返したということをトルコの皆が知っているからだという。初めて聞いた話なので、昔の日本人はよいことをしたなと思うと同時に、トルコの人たちが明治時代の話を今もって伝え覚えているということに感心した。
ところが、話はそれだけでは終わっていなかった。昭和60年のイラン・イラク戦争で、イランに残され、イラクの攻撃を受ける危険があった日本人200人余を、トルコ航空が救出してくれたそうである。トルコの人々が、昔、同胞が受けた恩を忘れず、日本人のために働いてくれたという。話を聞いていて、胸がつまり、涙が出そうになった。
日本人が救出されたこの話、日本のどれだけの人が知っているのだろうか。日本人が外国人に親切にした話は、詳しくは覚えていないが、いくつかある。第1次世界大戦で捕虜になったドイツ人を親切に対応した話も聞いたことがある。けれども、逆に、日本人が外国人に助けていただいた話もたくさんあるのではないかと思う。同胞が助けられた話は、当人だけのものとせず、みんなのものとして語り継ぐべきものではないだろうか。世界中の人が、そのような話を語り継ぎ、忘れないでいること、それが真の平和の礎になると思う。私達は、受けた恩を忘れているのではないかと、考えさせられた旅であった 。
首都のアンカラでは、アタテュルク廟に参拝した。アタテュルク(1881〜1938)は、トルコ共和国の建国の父と言われる人で、廟は、小高い丘に立つ壮大な建物を一回りすることができるようになっているのであるが、その資料室を回って外に出てきたとき、トルコの国を築き上げてきた人々の努力への感動が残っている自分があった。外国人の僕がそうなのだから、この廟を訪れたトルコの国民は、きっと先人の努力に感謝するとともに、この国を発展させるために努力しようと決意するにちがいないと思った。
歴史を知るということは、そういうことでなければならないのでないだろうか。我が国の今の歴史教育は、どうなんだろう。子ども達は、戦争をした日本人は悪いことをしたという意識をもっているという。満州に生まれ、子ども時代を満州で過ごした自分は、そうは思わないが、そういう話をしただけで渋い顔が返ってくるのが悔しい。歴史の資料館を訪れて、自分もこの国の発展のために働こうと決意させてくれるような資料館が日本にあるのだろうか。
戦争の評価はまだ定まらないであろうが、戦争に負けて、食べるものも着るものも、住む家もなかったところから、今の日本を築きあげてきた人々の活躍の姿を若い人々に伝える努力をしてもよいのではないだろうか。自分の親も含めて、先人達は、当然のことをしたまでと、自分達の苦労は何も語ってくれていないが、今の豊かさをもたらしてくれた人々のことに思いを馳せ、感謝の心を捧げ、子孫に伝えるようにする任務がわれわれにあるのではないだろうか。アタテュルク廟の訪問では、そういうことを思わされた。
自分がいろいろ学んだように、若い人々に、多くの国を訪れて、それぞれの国のよさを知ってほしい。よその国に行って、我が国のよさを知ってほしい。自分達のなすべきことをみつけてほしい。