1.子どもの育ちの連続性と不連続性
2.連携すべきものは何か
3.子どもの社会認識の発達過程の調査結果から
4.遊びの意義
5.保育所・幼稚園の保育―保育所保育指針・幼稚園教育要領にみる保育の視点―
6.小学校の教育
7.小学校と保育所・幼稚園との相違点
おわりに
はじめに
子どもの保育・教育は、子どもの最善の利益を尊重して実施されることが重要である。そのためには国家レベルから実際に保育、教育を行う保育・教育施設、そのなかで働く保育者、教育者が基本的な共通見解を持ち、協力連携して子どもの育成に反映できることが望ましい。子どもの発達に応じて年齢的段階で教育制度・施設が異なることは周知であるが、子どもの育ちの連続性を支えるためには、一貫した教育の流れが必要である。ここでは、保育・教育施設や制度の現状を概観しながら、子どもが育つ上で核となる育ちの連続性について考えていくことにする。
1.子どもの育ちの連続性と不連続性
(1)連続性とは
人は生まれてから死ぬまで一生涯その個人の基本的人格は変わらない。人間は過去があって、現在、未来に繋がる連続性の上に生きている。過去の自分が嫌いであっても、過去を塗り替えることはできないが、現在から未来にかけて、自己変革を起こすことは可能である。別の人格、別の人間に変わるわけではないが、人間は変化していくものであり、変わることが可能である。例をとれば、年をとる(加齢)、体重が増えたり身長が伸びるなどの変化、その時代に影響を受けた事物への考え方や嗜好、価値観、ファッションなど、人間はさまざまな形で限りなく変化しているともいえる。言い換えれば、人間の生命の連続性の上に、その人の生き方・生き様が変わっていくと理解できるであろう。
自分を取り巻く周囲の環境の変化や家族状況の変化、大きな部分では政変(政権の交代、戦争、クーデターなど)や天災(地震、水害、洪水など)などにより、その人の生活の基盤が揺らぐことがある。
また、普段と変わらない日常生活をしていても、交通事故、火事、転職、転居、転校などなんらかのきっかけで、変わらざるを得ない場合もでてくる。さらに、私たちのなかには変化を求める欲求が潜んでいることも事実である。しかし、いずれも1人の人間の生命の連続性を絶つことはできない。
(2)不連続性とは
人の人生は連続性の上に成り立つことは明らかであるが、教育問題において、特に保育所・幼稚園・小学校の連携(以下、保幼小の連携という)では、「不連続性」の面もある。それは主として子どもの教育上のシステムに関することである。保育・教育制度において、保育所・幼稚園と小学校には一線を画すところがある。保育所・幼稚園は小学校の準備教育を担うところではない。子どもは、乳幼児期に思いっきり遊ぶことが必要である。それ故、学校のシステムやカリキュラムを前倒しして、保育所や幼稚園に導入すべきではない。近代社会に入り、学力偏重、学歴偏重の流れのなかで早期教育が叫ばれているが、乳幼児期からこのような大人の教育に対する見方や要望で、子どもの育ちが左右されるべきではないと考える。
子どもの時期は、ゆったりと過ごすことができる場所と時間、人との関わりを保障していくべきであり、子どもは、本来的に遊びや生活での活動から自ら学んでいく力を持っている。私たち大人は、その成長発達を手助けしていく役割をもっているのである。小学校は教育がメインであり、保育所・幼稚園は遊びが中心となっている。子どもは遊びから学ぶ土台作りを固めていくのであるから、乳幼児期からの詰め込み教育は、将来的にどれほどの効果が期待できるか、疑問である。
子どもの「知りたい」「やりたい」「これなんだろう」という好奇心や興味・関心に適切に対応していくことは、子どもの知る意欲、学ぶ意欲、探究心などを育てて、子どもの能力や才能、個性などを伸ばすことに繋がる。保育所や幼稚園は、学校で学習するための準備として幼児教育が存在するのではなく、人間が将来に向けて自立できるように、また学ぶことを通して自己実現していくための準備期間を提供できる保育施設であるといえる。
人は生涯にわたり学校以外の場でも学んでいくことができる。成人してからも、職場における知識や技術などの学びのほか、地域、友人・知人、趣味・サークルからの学びなど、さまざまな形態の学びがあり、その素地を作っていくのが幼児期であることから、保育所、幼稚園の役割は重要であるといえる。
2.連携すべきものは何か
子どもの育ちの連続性を考えるとき、以下のことに焦点を当てて教育の流れをおさえていくことが求められる。
- @ 子どもの成長発達を継続して支える 保護者とともに保育者や教師が一緒に育ちを見守る
- A 子どもの個性、能力を伸ばす 個別化、子どもの考え・意見を尊重する
- B 子どもの置かれている環境整備をする 家庭環境や家族状況などの調整が必要(虐待や障害等)である
- C 子どもの経験・体験を重視する 実体験に基づく思考過程への出発点となる
- D 子どもを受容し共感的理解をする 受容、共感をするには、子どもの話を傾聴する 愛着・信頼関係の形成が大事である
上記にあげた5項目は、子どもが保育・教育の主体者であることを示している。私たち大人は、教育制度の違いを超えて子どもの成長発達を促し、生きる力を子ども自身に備えさせるために、子どもの能力や個性を尊重し、子どもと話をしたり一緒に活動して共感することを通して、多様な経験を積めるように配慮していく必要がある。
○ひかりちゃん(保育園児)の事例から
ある日、病気にかかり、2、3日休んでから登園すると、保育士が「ひかりちゃんがいなくて、とっても静かだったよ。」「クラスが落ち着いてやりやすかったよ」「また、休んでいいよ。」と言われ、子どもながらにショックを受けた。
その日、家に戻ってから、母親にそのことを話すと、「そう、私も先生から『ひかりちゃん、うるさいから休んでいたとき、静かでよかったですよ』と言われたわ」と聞かされ、さらに「あなた、うるさいから先生たちも大変なのよ」と言われた。
ひかりちゃんは、母親も先生もまわりの大人たちはみんな自分のことをそういう風にみていることに、ダブルショックを受けた。
この事例は学生の話である。大きくなってもショックなことはよく覚えていて、今でも「自分は落ち着きがなくうるさい人間だ」と話す。幼児期にこのように言われることにより、周りの評価で固められた自己像を本来的な自己であると思い込んでいる例である。保育者や周囲の大人の言動は子どもの育ちに影響を与えることになるのがわかる。
3.子どもの社会認識の発達過程の調査結果から
著者と川村登喜子は、平成7〜14年にかけて子どもの社会認識の発達過程に関する共同研究を行ってきた。この研究は、幼児期から児童期にわたる子どもの社会認識の理解過程と、その発達を把握しようとして行った。主として、子どもが社会事象をどのように感じているか、自分や他者をどのように感じているかなど、子どもなりの考え・感じたことを回答してもらう形式の聞き取り調査をした。現代社会は、TVやパソコンなど情報機器の急速な普及による「超情報化社会」となり、言葉や情報の氾濫している中で、これまでとは違った環境や育ちをしているのではないだろうか。それらが子どもにどのような影響を与えているのか。子どもがどのように感じ、考え、育ってきているかをみていく必要があると考えたからである。ここでは、平成14年に実施した調査結果をもとに子どもの自己認識や他者認識がどのようであるか、取り上げて述べていく。
(1)平成14年度の調査結果より
調査対象児・人数:3〜9歳 合計807人
年齢 | 3歳児 | 4歳児 | 5歳児 | 6歳児 | 7歳児 | 8歳児 | 9歳児 |
人数 | 61 | 88 | 86 | 133 | 142 | 152 | 143 |
調査期間: | 平成14年9〜11月 |
調査方法: | 3〜6歳児については、幼稚園・保育所での保育者による聞き取り調査 7〜9歳児は、小学校において子ども自身が回答用紙に記入 |
質問項目: | @自己認識 A他者認識(対おとな) B他者認識(対子ども) C生物との関係 D物との関係 E社会事象 |
図1 子どもの自己認識「自分の考えはいつも正しいか」 |
図2 他者認識「大人の考えはいつも正しいか」 |
|
![]() |
![]() |
@「自分の考えはいつも正しいか」の項目では、3〜6歳までは「正しいと思う」と答える子どもが4〜5割を占める。しかし、5〜6歳頃より徐々に「思わない」という回答が増え、7歳から「自分の考えはいつも正しい」とは「思わない」と答える子どもが「思う」の回答を上回っている。これは3〜6歳までは自己を中心とした回答をしているが、7歳以上になると他者との関わりの中で子ども自身が自己評価をしている。この年齢に達すると、自分の考えが正しいときもあるし、正しくないときもあるという状況を客観的に判断できるようになってきていることを示している。
A「大人の考えはいつも正しいか」の項目では、3歳児は約3割、4歳児は4割が「正しいと思う」と回答している。5歳児になると、8割を超えるが、6歳くらいから徐々に「正しいとは思わない」という回答が増え、9歳児になると半々の回答になっている。
この調査結果から明らかになったことは、3〜4歳頃の幼児期の自己中心的な思考から脱却して、6〜7歳児を中心に客観的に物事を捉えるように変化していることである。幼児期から児童期への移行は、行動や活動範囲が広がり、自分の周囲の世界の広がりに気がつき、さまざまな人々と関わり、自分の狭い周囲の環境から脱却し、広く関わろうとする姿勢が出てくる。これは身体的にも成長が著しいことや、感覚・情緒、知的発達、社会性が芽生えることにより可能となる。さまざまな事物に興味関心を寄せ、それが知的好奇心に結びついてくるような時期は、事物の成り立ちや科学的根拠などの探究心を生み出す素地となっている。この幼児期の基盤形成の中心的役割を担っているのが、子どもの「仕事」ともいわれる「遊び」である。
4.遊びの意義
従来、遊びは勉学や学習の反対概念として位置づけられてきた。しかし、これまでの定説とは違った新しい概念が出て、保育・教育現場に広まり定着してきている。それは、@遊びは学習の始まり、A遊びによって子どもは成長する、B遊びは文化である、C遊びは意欲的で活発な学習態度を培うという内容の概念である。特に、Bに関しては、歌や手遊び、伝承遊びなどその国の文化の影響を受けていることは顕著であり、世界的にみて民族主義の高まりとともにその国の文化を継承することは自国民の誇りであると自負する国々が増えていることである。日本も一時期先進国の文化を取り入れることに熱心なあまり、伝承文化を破壊、消失するに至ったことは事実である。
(1)幼児期から児童期に繋がる遊び
近年、子どもの学力の低下が指摘されている。文科省は学習指導要領を新たにするなど、ゆとり教育を見直し、子どもたちの学力向上を目指している。学力がある、知識があるということは悪いことではないが、これが行き過ぎると、「学力の偏重」「学歴の偏重」に行き着く。丸暗記のように単なる知識の詰め込みや画一的教育の実施、受身的な学びなど、本来的な学力がつかない上に、さらに競争が過激化し自己中心的な個人を生み出す可能性が高い。
本来、「学び」は学問的なことだけを指しているのではなく、人間が生きていく上で「学び」は切り離せないものが沢山ある。それは農業や漁業、林業、工業などあらゆる産業における発展を支えてきたといえる。有機栽培や無農薬の作物を作ろうとするとき、人から教えてもらうことも「学び」であり、自分で試行錯誤して土や虫、気候から学び取っていくことも「学び」である。本に書いてあるとおりに行っても、うまくいく場合といかない場合がある。そこでもう一度、チャレンジするか否か、工夫するかどうかが、次の学びのステップに繋がる。
(2)遊びのなかの要素
遊びの中には、「体験」、「思考」、「自主」、「創造」、「個性」、「協同」の要素が含まれる。子どもは夢中になって遊ぶということを通して、さまざまなことを体験し、そこでの失敗や成功を通して学んでいく。
たとえば、「砂場で山を作る」場面があるとする。山を作るにはただ砂を集め、かければよいというわけではない。トンネルを掘るほどの硬さが必要な山であれば、少し水を注いで固める必要がある。水を多く注ぎ過ぎると、ぐちゃぐちゃになって崩れてしまう。その結果、子どもは「なぜだろう」「どうして?」と思い、そこから考える。時には、友達と意見を出し合い工夫するなどに発展していく。このような遊びの繰り返しが、子どもを成長させ、さらに遊びを広く深く展開させる。失敗や成功の経験、友達との意見や情報の交換・共有、協同作業などを通して、満足感や充実感、達成感を得ることができる。これらは、いずれも実体験に根ざしたものである。
↓
子どもは対象理解をする
↓
抽象概念に発展
実体験が少ない子どもは知識ばかり詰め込んでも、途中で息切れしてくる。小さい頃から塾通いをしている子どもは、これから本格的な学習に入る小学校以上の教育段階で挫折することが多くみられる。
子どもの遊びの喪失は、「学び」の基盤の喪失であるといえよう。
(3)子どもの成長における遊びと学習の関係
子どもの保育において遊びは欠かせないものである。遊びを通して基礎的な生活技術や知識を獲得していく。遊びには、心身の成長発達における段階的相違はあっても、保育所・幼稚園と小学校における共通の特徴があるとして、腰山豊はその特徴を@身体的側面、A知的側面、B感覚・情緒面、C社会性、の4つに分類している。遊びの教育的役割は、図3に示した通りである。
通常保育所や幼稚園では、5領域といわれる「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」の保育内容に基づき、保育や教育を行っている。保育所では保育所保育指針、幼稚園では幼稚園教育要領に、基本的保育の実施指針として活用している。また、小学校では小学校学習指導要領に基づき、教育が行われている。保育所・幼稚園における保育と小学校での学習との関係は、図4の通りである。
図3 遊びの教育的役割 |
図4 保育所・幼稚園の保育と小学校の学習 |
|
![]() |
![]() |
5.保育所・幼稚園の保育―保育所保育指針・幼稚園教育要領にみる保育の視点―
乳幼児期の子どものうち、保育所では0歳児から5歳児までの保育を保育所保育指針に基づき行い、幼稚園は幼稚園教育要領を基本として、3歳児から5歳児までの保育を行っている。子どもの保育・教育施設の管轄が厚生労働省と文部科学省に分かれているが、いずれの保育・教育の基本、保育の目標に大きな違いはない。保育の目標、基本については以下の表に示した内容である。また、共通する保育の視点については表3にまとめた。
さらに、保育においては、子どもの育ちを擁護・保障していくために、力を注いでいることがある。
表1 保育所保育指針
●保育所保育指針
●第1章総則 3 保育の原理・保育の目標 保育所は、子どもが生涯にわたる人間形成にとってきわめて重要な時期に、その生活時間の大半を過ごす場である。このため、保育所の保育は、子どもが現在をもっとも良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために、次の目標を目指して行わなければならない。
表2 幼稚園教育要領
●幼稚園教育要領 第1章総則
第1 幼稚園教育の基本 幼児期における教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであり、幼稚園教育は、学校教育法第22条に規定する目的を達成するため、幼児期の特性を踏まえ、環境を通して行うものであることを基本とする。
表3 保育の視点
●子どもの乳幼児期は、人間形成における重要な時期である
●乳幼児期の特性を捉えて保育する
●生命の保持、情緒の安定を図る
●健康的な基本的生活習慣や態度を養う
●人への愛情と信頼感を育てる
●環境を通して保育する
●様々な体験による豊かな感性、表現力、想像力を培う
(1)環境を通しての保育
乳幼児期の子どもは、抽象的な知識・技能を身につけるというよりも、具体的な体験を通して、人間形成の基礎となる豊かな心情や感性、物事に自分から関わろうとする意欲や態度を養う時期である。保育者が直接子どもに対して働きかけるとともに、一人ひとりの子どもの今の状況を踏まえて、この子には今何が必要か、どのような支援をするとよいかを考えて、環境に教育的価値を含ませ整えていく。
そうすることにより、子どもは興味をもって環境にかかわり、そこから自分で切り開いていく力をつけていく。そのため、保育者は子どもが「あれ?」、「何だろう?」、「おもしろそう」、「やってみようかな」という好奇心を抱くような環境を準備することが大切である。子どもたちは、今自分がもっている興味、能力、知識などに照らして、少し努力すれば出来そう、手が届くという新しい挑戦が好きである。
保育者が強制して何かを行わせるのではなく、子どもの主体性を尊重して保育を進めていく。子どもがそれを選択しない場合には、環境を見直し、再構成を検討する必要がある。それには、まず第一に、保育者は、子どもの主体的な活動が確保されるように、子ども一人ひとりの行動を理解し、予想して環境を構成することが肝心である。これは、小学校の低学年においても、同様のことに配慮して行う必要あることを示唆している。
(2)子どもを尊重する
保育者は、子どもの成長発達を援助する役割として位置づけられている。それは、保育者の言葉にも表れる。「〜しなさい」「〜をしてはいけません」など、指示、命令、禁止の言葉は極力使わない。それらの言葉は保育者が主導であり、生活の中で主従関係を作り出すもとになる。保育者がいつもこのような言葉で指示や命令を出したり、禁止をすると、子どもたちは慣れてきてしまい、「指示待ち症候群」などといわれる子どもを作り出す要因ともなる。
しかし、何でも受け入れればいいかというとそうではない。常識的にみても、いけない行為、危険な行為、人や動物を傷つける行為(身体的・精神的にも)は禁止すべきである。その子どもの人格を否定するのではなく、いけない行為そのものを正す必要がある。これが受容であり、子どもを信じるという保育者の姿勢、子どもを愛しているということが伝わる保育を日々実践していくことが大事である。このように、保育者が子どもの心に寄り添うという行為を保育のなかで行うことによって、子どもが保育者から受け入れられているという確かな感覚を持つことになる。
子どもの誤った行為には、その行為に至る理由や事情、背景が必ずある。その現象面だけを捉え、表面に現れた行為を叱るだけでは問題は解決しない。かえって子どもの心が保育者から離れていくだけで同じ行動をまた繰り返すことになる。
子どもの抱えている問題はさまざまである。特に家庭事情が主として関係していることが多くみられる。たとえば、妹や弟の誕生、親の無関心、過干渉、過保護、虐待、ひとり親家庭、経済的問題(親の失業、転職、借金)、夫婦間の不和、嫁姑問題、引越し、家族関係の変化(親の離婚、再婚、家族構成員の死亡、病気・入院・介護など)、兄弟の障害など、子どもにはわからない、理解できないと大人は考えるが、子どもは小さいながらも自分なりに理解、納得しようとして努力している。
6.小学校の教育
小学校指導要領 総則編 教育課程編成の原則 (第1章第1の1)
学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、児童に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で、基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む態度を養い、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。その際、児童の発達の段階を考慮して、児童の言語活動を充実するとともに、家庭との連携を図りながら、児童の学習習慣が確立するように配慮しなければならない。
(1)現行学習指導要領との相違点
上記は今回の新しい学習要領の文面であるが、下線部分において現行学習指導要領では、「自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的、基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」となっていた。実は現行学習指導要領のほうが、より「保育所保育指針」と「幼稚園教育要領」に近いものであった。今回の新しい学習指導要領には「ゆとり教育」の功罪を正す目的がみられ、もっと教育を前面に出した内容が盛り込まれている。文章も硬い表現で、「思考力」「判断力」「言語活動」などを用いている。
また、「家庭との連携」を図り、「児童の学習習慣」の確立できるようにすることを意図しているが、小学校間や幼稚園、中学校、高等学校、特別支援学校などの連携や交流を図ること、障害のある幼児・児童生徒や高齢者などの交流の機会を設けることについては言及しているが、保育所は範疇に入っていない。文科省と厚労省の管轄の違いはあっても、子どもは同じであり、保育所との連携を見落としてはならないはずである。
(2)新学習指導要領の改善点
2008年1月の「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」における答申では、以下の点について指摘している。
- @改正教育基本法等を踏まえた学習指導要領
- A「生きる力」という理念の共有
- B基礎的・基本的な知識・技能の習得
- C思考力・判断力・表現力等の育成
- D確かな学力を確立するために必要な授業時数の確保
- E学習意欲の向上や学習習慣の確立
- F豊かな心や健やかな体の育成のための指導の充実
これらの項目のうち、Aの「生きる力」やB「基礎的・基本的な知識・技能の習得」、C「思考力・判断力・表現力等の育成」、F「豊かな心や健やかな体の育成のための指導の充実」は、まさしく保育所・幼稚園の保育が基礎であることを裏付けている。
7.小学校と保育所・幼稚園との相違点
(1)小学校低学年と保育所・幼稚園の制度や内容における相違点
- @制度上の相違点
保育所・幼稚園と小学校における制度上の違いは、学級編成をはじめとして、担任の役割や各教科の先生の配置、子どもの年齢幅の違いなどがある。
小学校では1〜6年生(6・7〜12歳)を対象に教育が行われ、保育所では、0〜5(6)歳、幼稚園においては3〜5(6)歳の保育が行われている。
※以下、保育所を(保)、幼稚園を(幼)、小学校を(小)と記す - A登下校
(小):保護者から離れて一人で登校・下校する
(保・幼):保護者と一緒に登園、あるいは園バスで保護者がいる所まで送り迎え。 - B先生と子どもとの関わり
(小):授業が終わると、職員室に戻る。休み時間まで一緒に遊ぶ先生は少ない。 担任以外の教科別担当教師は、その時間だけの関わり
(保・幼):保育時間中は子どもと一緒 - C学ぶ形態
(小):時間割による学習。1時間のなかで子どもが全員同じ教科を勉強する。
(保・幼):遊びを通してさまざまなことを学ぶ。ある程度時間は自由。 - D子ども自身の準備
(小):教科ごとの準備(用意するもの)や予習・復習がある。
(保・幼):工作などで用意するものはあっても、保護者と一緒に用意。保育所・幼稚園に登園すれば、昨日の遊びや課題の続きをすることができる。
(2)小学校1年生の事例
後で、どうしてすぐに戻らなかったのか聞いたところ、「だって、プランターの置いた位置が練習のときと向きが違っていたから直していた。みんなどこかに行っちゃって1人で大変だったよ。」と言った。
この事例は、幼稚園の年長組の子どもの話である。この章を執筆した黒崎宏一は、子どもがそこまで考えていたことに衝撃を受けたそうである。幼稚園で訓練や経験を積み、自分で思考する力をもっている子どもが、小学校に入学した途端になにも出来ないような一からやり直す存在になる。「子どもの育ちは『点』ではない。連続した『線』なのだ。」といわれている。当たり前のことが小学校教諭に理解されていなかったことが驚きであり、これまでの教育観を見直す契機になったという。
では、小学生になったとき、子どもはどういう扱いを受けるのか。1年生は、小学校では最年少である。運動会のときも、自分が出る競技のとき以外は、席に座っているだけで、準備は上の学年の児童が行う。しかし、3月までは年長として責任ある仕事を担って一番活動していたはずである。同じ子どもが3月に卒園して、4月に小学校の門をくぐった途端に何も出来ない赤ちゃん扱いされる。
このことをどう捉えていったらよいのか。保・幼と小学校とは活動内容が違っているからとだけで片付けていいのか、疑問である。別の小学校の先生は「単なる学校という制度が保・幼と違うから。」というだけで処理している。
小学校では、教師は活動を支えるための学習スキルを中心に支援計画を立てる。子どもの育ちの連続性を支えるために必要となるのは、保・幼・小の連携である。日常の子どもの様子を観察するときに、小学校入学前にどのような学習や経験を積み重ねているかを知っておくことで、子どもの捉え方の深さが違ってくる。そのため、指導要録をよく読み、引継ぎを出来る限りしておくことが求められる。機会を作り、小学校の教師が保育所・幼稚園を参観しておくことも有効である。
(3)保育所・幼稚園で培った子どもの姿を伝えるにはどうしたらよいか。
小学校入学に際して、幼稚園や保育所から「幼稚園幼児指導要録」や「保育所児童保育要録」が送られる。これらはある一定の子どもの状態を客観的に捉えていることは理解できるが、これらにみる画一化された形式で、子どもの本来的な姿が伝わるかというと、残念ながら伝わらない。
要録の項目は、5領域における子どもの発達の伸び具合などがきちんと書かれてはいるが、一人ひとりの子どもの姿が浮かんでこない。要録を書く先生方も苦労されて記録しているが、抽象的表現を用いて、悪いように伝わらないにしているのでは、子どもの全体像が伝わらない。その子どもの本来持つ良い面や今後も伸ばしてほしい、伸びる可能性、あるいは、改善してほしい、配慮が必要なことを十分伝えられないもどかしさがあるのではないだろうか。
実際に、現役の小学校の先生の中には「指導要録を読む時間もないし、読むと先入観が出来てしまうので読まないことにしている。小学校は違うから。」とはっきり話す先生がいる。このことを直接聞いたときに、保育所・幼稚園の先生が苦労して書いているのにと思うと、筆者は驚きを隠せなかった。
おわりに
では、どのような連携が望ましいのか。保育所・幼稚園で培った経験・体験が子どもに考えさせ成長させているのに、小学校に入学したらゼロからのやり直しにするのは疑問が残る。これまでの成長過程で身につけつつあった思考力、判断力、行動力を1からやり直すのではなく、その上に積み上げていくことが必要である。これまでの形式的な連携を見直す必要があると考える。
そのためには、以下のことを検討課題としてあげたい。
- @関係者連絡協議会を開催する
小学校教諭が要録を読む時間がないのであれば、連絡協議を必ず定期的に開いて話し合うことを提案したい。担当者が顔と顔を会わせて一緒に検討する会を設ければ、お互いに連絡がとりやすくなり、何かあったときに、すぐ話せる、聞ける体制を整えることが大事だと考える。現に連絡会等を実施し、相互交流が盛んに行われている学区もある。 - A指導要録とは違う形式の子どものプロフィール用紙を開発する
日本保育学会の発表において広島大学と幼稚園が共同で考案した新しい形式がある。指導要録は子どもの一部しか伝わらないため、さらに理解してもらうことを考え試案されたものである。それは障害がある子どもに対して正しい認識と理解をもってほしいという意図があり、幼稚園で障害児をどのように保育したか、その子どもがどういう成長過程をたどったかなどを伝える試みをしている。実用化するには改善すべき点はあるが、これも1つの方向性としてよい。
いずれにしても、指導要録のような書式は事務的になり、その子どもの本来の姿を伝えることが難しいといえる。これから現場の保育者と教育者が話し合いを重ねて、より一層の保育所・幼稚園と小学校における連携を進めていくことを願っている。
〈参考文献〉
- 川村登喜子編著『子どもの共通理解を求める保育所・幼稚園と小学校の連携』学事出版 2001年
- 腰山豊著『幼・小連携をめざす幼年教育の内容・方法・技術』一芸社 2007年
- シルビア・チャード著 小田豊監修『幼年教育と小学校教育の連携と接続』光生館 2006年
- 川村登喜子・高玉和子「幼児期から児童期にわたる子どもの社会認識の発達過程」日本保育学会第56・57回大会発表論文集