内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第38号
特集:乳幼児期の探究III

"想像力"を育てる関わり方
─ 「遊び」を手がかりに ─
門山 律子 東京女子医科大学東医療センター精神科 臨床心理士主任
臨床を通して感じたこと
"想像力"はどのように育つのか
「育つこと」と「遊ぶこと」の関係
教育としての「遊び」の意義
"想像力"を育てる遊び方
"想像力"の無限の可能性を"想像"する

臨床を通して感じたこと

筆者は病院の臨床を担当すると同時に、中学校のスクールカウンセラーを経験した。これらの臨床を通して以前より感じていたことがある。そのことについてここで整理してみようと思う。

初めて気付いたのは学校での面接を通してであった。学校では主に不登校の生徒への対応をしていた。彼らの多くは、学校での人間関係がうまく行かず悩んでいた。きっかけは、入学当初よりクラスメイトに馴染めず教室に入れなかったり、友人関係ができてからトラブルになったり、と様々である。あるケースは「私と親友って言ったのに他の子とも'親友'だと約束してたって、別の子から聞いて、裏切られたと思って、もう会いたくなくなった」と訴える。別のケースでは「自分の考えは、多分他の人と違うから、きっと'変なヤツ'だと思われている」とのことだった。話を聞けば、ある種もっともな訴えで、対人関係の発展が著しいこの時期に、デリケートな子どもたちの心は絶えずこの傷つきと向き合っているであろうことは容易に想像がついた。

しかし、このようなケースをいくつか経験するうちに、ある共通点に気が付いた。彼らの不登校までの経過は、大抵は先ず友達との関係が難しくなり、次に何となく顔を合わせ辛くなって休み始め、最終的に学校に来られなくなるという形である。この中の、友達との関係が難しくなったこと、についてよく聞いてみるとある傾向があった。それは「多分○○と思う」や「別の子が教えてくれた」「きっと△△と言っている」というように、間接的で固定された予測の基に結論付けることであった。そしてその解決方法も「会わないようにする」といった単純で短絡的なものとなっていたのである。

このような傾向は学校だけではなかった。このことに気付いてから病院へ相談にやって来る人について見直してみると、特に若い人たちは、同じような傾向を示していた。

この共通点について、一体そこに何があるのか?彼らと一緒に解決方法を探すうちに見えてきたことは、"想像力がないこと"ではないか、ということだった。

"想像力"はどのように育つのか

そこで"想像力がない"ことについて、視点を変え、"想像力がつく"とはどういうことなのかとして考えてみたい。

一般的には「様々な可能性について思いをめぐらすこと」といったところが「想像すること」であろうか。そのような力は、周囲の人間や出来事との関わりを決定する際に重要になる。実際、想像力が豊かな子どもは肯定的な感情を抱きやすいという研究も在ることを踏まえると、その人の人生そのものを、豊かに生き生きとしたものにする大切な力になると言えるだろう。先に挙げた傾向を持つ人人は、特に解決方法にバリエーションがない。それはその過程に於ける"様々な可能性"を"想像する力"が足りなかったからではないだろうか。そのために窮屈で不安定な時間を過ごしているように見えた。そのような事態に遭わないためには豊かな想像力を身につけることが重要なのではないだろうか。

では想像力を身につけるにはどのようにしたら良いのだろうか?ここで一つの可能性を検討してみたい。

我々が身につけている"生きていくための力"は、生まれながらに備わっているものではない。生まれてから今までに体験したあらゆる出来事から学び、獲得したものである。そして"想像力"もその中で獲得される力だと考えてよいだろう。では人はどのようにして"生きていく力"を獲得するのであろうか。生まれたばかりの乳児は、恐らく大人が持っているような"社会性"や"自己感"とは異なった世界にいる。そして成長・発達という過程を通して様々な力を獲得していく。この過程は、学習、認知、社会、発達、乳幼児心理学等から精神分析、神経学にいたるまで、様々な分野の研究者たちが検討している。それぞれの立場によって、過程の詳細は異なっているのだが、概ね共通する点は「段階的な発達」と「それらに見合った外界の関わり」ということではないかと筆者は考えている。

ここに、生まれて間もない赤ん坊がいるとする。(この段階で自我の有無には諸説あるが)この子はまだよく目も見えず、周囲の音も聞き分けていないだろう。しかしこの時でさえ、生きるために泣いて「外界」へ働きかける。そして次第に目や耳等で「外界」をはっきり知覚し「自分以外の存在」を知るようになる。すると今度は「周囲の言葉」に呼応するように言葉を覚え、その使い方を獲得していき、子どもとして生活できるようになる。やがて子どもは、家族の中から幼稚園・保育所のような「社会」へ参加し、学校で知識を得るようになり、試行錯誤を繰り返しながら、ついには一人の大人として成長を遂げる。

こうして簡単に考えてみても、その過程では「外界」すなわち「周囲の大人」の存在が必要とされていることが解るだろう。つまり"想像力"を含む"生きていく力"を獲得する為には周囲の大人の関わりが不可欠なのである。

それでは「周囲の大人」がどのように関わることが、豊かな想像力を育てるのか。その中で検討したいのが"遊び"についての可能性である。

「育つこと」と「遊ぶこと」の関係

乳幼児が様々な能力を獲得するために"遊び"を通して学んでいる、ということは、乳幼児教育学・発達心理学・乳幼児精神医学といった分野で繰り返し検討されている。もちろん現在も研究され続け、むしろ当たり前のようなことかもしれない。

多くの研究者は、それぞれの立場が違っても、やはり遊ぶことから育ち学ぶと考えている。ではその"遊び"について、どのようにしたら効果的に"育つこと"に結びつけることができるのだろうか?

"育つこと"に結び付けて考えようとする際に、先ず思いつくのが"乳幼児教育"ということになる。乳幼児の教育の中で"遊び"は重要な役割を果たしているのは言うまでもない。しかし、その中身は様々である。ある所では、教育という名を冠している限り大人が指導していくことが必要としている。別の場所では、乳幼児なのだから自由に放っておくことが教育なのだとしている。

筆者は"乳幼児教育"を、想像する力を養うために必要な、乳幼児期の体験を支えるものと考えた。子どもたちが、自由に安心して"遊び"の中から学び取れるよう、周囲の大人が環境や質を保証すること。ただ放っておくのではなく、時には指導的な介入も必要としながら、しかし最大限子どもたちの自由を確保しつつ提供されるべきものと考えたいのである。

教育としての「遊び」の意義

子どもたちが、自由と安全が確保された環境で"遊び"に興じることが可能になるとき、そこに"想像する力"が育って行くのではないかと筆者は考える。

この"自由"と"安全"は子どもたちの力だけで手に入るものではない。周囲の大人つまり子どもの教育に関わる全ての人間が、協力し積極的に確保しようと試みなければ手に入らない。では、"自由"と"安全"を提供するために何が必要であろうか?

比較的考えやすいのは「安全」であろうかと思う。例えばケガをしないように配慮することや、そういった場所を確保することなどが考えられる。このときには指導的な介入が必要となる場合が多いかもしれない。

では「自由」についてはどうであろうか。先にも述べたようにただ"放っておく"のとは違う"自由さ"である。このことについて考えるにあたり、先ず"遊び"が教育としての意味を持って子どもたちに享受されるか否か、ということになる。

そもそも、遊びは自由で楽しく、それ自体が目的であると言われている。これが教育的な意味を持つということが、果たしてあり得るのかと疑問もあるかもしれない。

これについて応えているある幼児教育論を参照してみようと思う。明治41年に書かれた物ではあるが、その内容は現在においても鮮明さを失わないものであるように思う。

その中では"遊び"を「遊戯」と表現しているが、これが子どもにとってどれほど意味深いものか、またそれを教育者がどう捉えるべきかが記されている。

その著者、中村五六(なかむらごろく)と和田実(わだみのる)は『幼児教育法』の中で幼児教育の必要性を説き「遊戯」こそが幼児教育の目的を遂げるものだ、としている。子どもはその精神の健全な発達や日常生活上の習慣などを「遊戯」の中から身につけるものと考え、周囲の大人はそれを援助する必要がある、ということである。

このことは、先に述べた教育的な意味を持った"遊び"を考えることに役に立つ。つまり"遊び"は、子どもにとっては'自由で楽しくそれ自体が目的'であって、それに教育的な意味を見出し、提供するのは周囲の大人の役目なのである。このように"遊び"に教育的意味を持たせることが可能と考えた上で"遊び"の"自由さ"に戻ってみる。

このことについても和田らは記述している。子どもたちは自発的な活動の中で様々なことを身につける。これが押さえつけられ制限されてしまうと、その興味はそがれることとなる。興味のそがれた状態では自発的活動が弱まり、繰り返されると発達を阻害することになるのだという。つまり子どもたちが「遊ぶことそのものを十分楽しみ自然に興味を持てる自由さ」が重要と言えないだろうか?そして、このような自由さを提供するための関わり方はどのようにすればよいのであろうか?

"想像力"を育てる遊び方

乳児の行動を見ていると、実に色々なものに興味を示す。周囲の大人が使っている物や食べているもの、着ている衣服から髪型、装飾品まで、本当に尽きることのない探究心を垣間見ることができる。もう少し大きくなり言葉でコミュニケーションが取れるようになると、今度は様々なものが他の物の"代役"を果たしていることに気が付く。木の葉がお金になったり料理の材料になったりする。貝殻がお皿になったりスプーンになったりもする。このような"代役"は物だけに留まらない。小さな人形が自分やお父さん、お母さんになる。或いは自分自身が幼稚園や保育園の先生になることもあるかもしれない。

このように乳幼児の興味とその広がりは、自然に大きく深くなっていく。これらを押さえつけないように関わることが、大人たちの役割となるだろう。では具体的にはどのような関わり方ができるのだろうか。

ある時、ある親子(筆者の姉妹とその娘であるが)の様子を見ていて少々驚いたことがあった。何にでも興味を持ち「これなぁに?」と問いかける子どもに対し、母親は「それは○○をするものだよ。」と優しく応えていた。一見何の問題もないように思うかもしれないが、実際にはその使い方はおおよそ子どもの理解を超えたものなのである。つまり、子どもにとっては「何かよく分からないモノ」になってしまうのである。案の定子どもはその物に対する興味を失い、会話は途切れてしまった。これは先に記した「興味の殺がれた状態では自発的活動が弱まる」ことを示しているのではないかと思う。

例えばこのケースで違った対応の可能性はなかったのかと"想像"してみる。この時子どもは何を知りたかったのか?あるいは母親との関わりを持ちたかっただけなのか?それとも覚えたての言葉を使ってみたかっただけなのか…。このように様々な可能性に基づいてその対応を検討してみて欲しい。どのような可能性が"想像"できただろうか?一例として筆者の"想像"を記述してみる。「これなぁに?」「何だろうね?どんな風に動く(あるいは見える)かな?」である。子どもの興味を引き伸ばし、次の興味を提示すると同時に"物"を通して一緒に"想像"し"遊ぶ"ということである。

確かに、実際の物の使い方を覚えてもらうために、その説明をすることは重要なことである。危険なものを回避できる力を身に付けてもらわねばならないからだ。しかしこの時重要だったのは、子どもの興味を支えることだったのではないだろうか。

先に述べた「自然に興味を持てる自由さ」を意識して、子どもの中に芽生えた可能性つまり自発的な活動を、周囲の大人が"想像"し"遊び"を支えるような関わり方が重要と筆者は考える。そうして"一緒に遊ぶ人"が支えてくれる時、その興味はますます広がり次の興味と可能性を"想像"することができるのではないだろうか。そして、この繰り返しから学ぶ力を筆者は「想像力」と呼びたいのである。

"想像力"の無限の可能性を"想像"する

ここまで述べてきた"想像力"についての想像は、或いは筆者の独りよがりな憶測なのかもしれない。しかし、実際の臨床場面において筆者はこのことをいつも心がけてきた。問題の発生から解決に至るまでの過程で、本人の"想像力"を頼りに、それを支えるように一緒に想像してきた。そのことが、多少なりとも効果があるように感じているし、つまるところ全ての解決法を生み出しているとさえ思っている。「"想像力"には無限の可能性があるのだ」と。多少大げさかもしれないが、そのような考えの基に、この機会に整理してみようと思いついたのである。

今回は特に乳幼児に焦点を当て、人の成長・発達とその過程での"想像力"の獲得として考えてみた。これまでも一臨床家として、(年齢に関係なく)人の成長・発達に興味を抱いてきたが、乳幼児期の養育者・教育者の関わりが重要であることを改めて学ぶことができたように思う。やはり"想像力"豊かな、生き生きとした大人として生きて行くためには、乳幼児の頃からお手本となる誰かが、一緒に"想像"し"遊んでくれること"が、何より大切な要素なのではないだろうか、と"想像"してやまないのである。


〈参考文献〉
  • 中村五六・和田實合著 『幼児教育法』 平成19年 学校法人和田実学園
  • 石谷真一著 『自己と関係性の発達臨床心理学』2007年 培風館
  • D.N.スターン著小此木啓吾・丸田俊彦監訳神庭靖子・神庭重信訳 『乳児の対人世界 理論編』1989年 岩崎学術出版社
  • D.G.シンガー・J.L.シンガー著高橋たまき・無籐隆ら訳 『遊びがひらく想像力 創造的人間への道筋』1997年 新曜社
  • O.N.サラチョ・B.スポデック共著白川蓉子・山根耕平ら共訳 『乳幼児教育における遊び 研究動向と実践への提言』2008年 培風館
  • 本間博彰著 『乳幼児と親のメンタルヘルス 乳幼児精神医学から子育て支援を考える』2007年 明石書店
  • 内田伸子編 『やわらかアカデミズム・<わかるシリーズ>よくわかる乳幼児心理学』2008年 ミネルヴァ書房