2.伝統文化を生かした保育
3.「伝承者」の協力
4.自然環境を生かす−野外の遊び、伝承の遊び
5.結びにかえて
1.はじめに
本稿は、地域社会の持つ力を子どもの成育環境の中に生かしていくための方法について、鹿児島県奄美大島の事例を取り上げて考察しようとするものである。
地域社会の希薄化が指摘されるようになって、すでに半世紀以上が経つ。住宅地の周辺で子どもたちが遊ぶ姿を見ることは稀になったし、隣近所の付き合いや町内会などの組織、そこで行われる祭りなどの行事、共同作業等の多くは消滅したり形骸化した。こうした現象は、人口集中のみられる都市部でも、また人口減少の著しい過疎地域においても同様にみられる。現在、多くの子どもたちは自らのアイデンティティを生まれ育った地域と結びつけて考えることが難しくなっている。
しかし、こうした状況のなかで、近年、地域社会再生への動きが出てきたことは見逃せない。とりわけ子どもの生活に関するものでは、子どもと地域社会との関係を密にし、豊かな自然環境の中でたくましく育てようとする試みが各地で行われるようになった。
たとえば千葉県木更津市の社会館保育園(宮崎栄樹園長)では木更津市街に残る里山で泥だらけになって遊ぶ「森の保育園」を運営している。子どもたちは卒園までの1年5カ月のうち70日間を保育園から3キロ離れた里山で過ごす。自然環境のなかで遊び、助け合い、また、けんかもし、自分たちで問題を解決する力やさまざまな形のコミュニケーション能力を身につけるという(1)。
神奈川県鎌倉市には「青空自主保育なかよし会」という会が独自の方法で自然の中の保育を実践している。こちらは園舎のような施設はなく、1〜3歳児30数名を週に2,3回野外につれて行き自由に遊ばせるというものである。スタッフは専任保育者2名に、2,3人の親が交代で当たる。親たちも保育当番になることで、自分の子以外の子どもたちとも接することになり、さまざまな点で視野が広まり、親にとっても成長の機会になっているという(2)。
「ぼうさい(防災)探検隊フォーラム」のマップコンクールもその一例といえるだろう。これは小学生が自分たちの住む地域を自らの足で調べ、危ない場所や防災・防犯設備、避難場所などをまとめて作った地図のコンクールである。地図を作る過程で子どもたちは防犯・防災の知識だけでなく、それぞれが住む地域の特色や歴史を知ることになるし、警察官や消防士など普段は接することの少ない大人たちとも話す機会ができ、「地域の知恵」を学ぶ機会になるというものである(3)。
上記の試みはいずれも子どもたちが地域にかかわる機会を作り、地域への関心を育て、人間関係をより密接なものにしていこうとする点で共通している。また、多分に自然回帰や環境保全の志向がうかがえる。本稿で検討する奄美大島の事例も同様の脈絡に沿うものである。では具体的にどのような取り組みがなされているのか、以下にみていきたい。
2.伝統文化を生かした保育
伝統文化を生かした保育の例として奄美市立金久(かねく)保育所で行われている保育実践の報告がある(4)。この保育所では「伝統文化や自然とのふれあいなどを積極的に取り入れた郷土保育」を目標とし、「祖父母世代とのまじわりのなかから、手作り玩具、伝承遊び、わらべ歌や民話、シマ歌(民謡)や八月踊り(村祭りの踊り)など」を、保育の中に生かしていこうとしている。そして、次のような五つのねらいを設定している(5)。
- @島の文化に興味、関心を持ち、親しませる
- Aお年寄りの人生経験や様々な能力をいろいろと活用する
- B奄美に伝わる民話やわらべ歌、シマ歌、八月踊りなどをとおして、一人でも多くの子どもたちに出会いの喜びを味わってもらう
- C行事やイベントではなく、日常の小さなふれあいを大切にする
- D自然体験をとおして、開放感を味わい、豊かな感性を育ませる。
金久保育所は市立の保育所で奄美群島内の政治経済の中心地域、奄美市にある。住民は奄美市以外の町村から、また島外、本土鹿児島からも転入していて、地域の伝統を共有するムラ社会を構成しているというわけではない。奄美市の人口は47,400(平成21年2月現在:県月別推計)で人口規模では県内の第7の都市である。島の面積は沖縄島、佐渡島に次いで大きく、気候的には亜熱帯海洋性気候である。動植物相はその気候を反映して多様で、毒蛇のハブや天然記念物のアマミノクロウサギ、オオトラツグミ、ルリカケス、絶滅危惧種のリュウキュウアユ、アマミヤマシギなどの貴重なものが数多い。島の周囲には造礁サンゴが発達し、河川にはマングローブがみられるところもある。文化的にも民謡、伝説、宗教・信仰、生活習慣全般にわたって奄美固有の伝統文化が存在する。
3.「伝承者」(6)の協力
@民話の語り聞かせ
金久保育所では奄美大島に伝わる民話を語り聞かせることに力を入れている。それも保育士が民話集のような書籍を読み聞かせるだけではなく、地域の古老を保育所に招いて直接子どもたちに語ってもらっているという。長く地域に根差した生活を続けてきた人の話は伝統文化の伝承という点で大きな意味があるようだ。
金久保育所では民話の伝承者として著名な川畑豊忠氏(7)を保育所に招いて、子どもたちへの語り聞かせを行っている。
語り聞かせは保育所の中だけでなく、散歩しながら、遠足のバスの中で、園庭の木陰、野原や川原など様々な場所で行われる。子どもたちは語り手の口調や身ぶり手ぶりに身を乗り出して聞くという。語り手は一つの話の終りに「チョウガッサ(これで終わり)」という言葉を入れるが、子どもたちはそれに応えて「ヘェーへェー」とあいづちを打つ。こうした昔ながらの、語り手と子どもたちのやり取りを通じて子どもたちは民話の世界にひたっていくという。
ある程度、語り聞かせを繰り返し、子どもたちが民話のストーリーを理解したところで、実際に民話の舞台となった森や海、そこにあらわれる動植物を見にいくという。野山に出かけ、動植物を観察し、海や川で遊び、博物館を見学する。少し足をのばせば民話の舞台になった森や海や川を目にすることができる。子どもたちは見てきたイメージを基に民話を題材とした絵を描き、さらに紙芝居作りをする。これは単に絵画の指導ではなく、民話と自然とのふれあいの体験から心の中に浮かんだイメージを表現する作業だという(8)。
Aシマ歌、八月踊りの練習
子どもたちがより積極的に奄美の伝統文化にふれる活動に、シマ歌と八月踊りの練習がある。シマ歌とは奄美に伝わる民謡で、その大部分が庶民の生活の中で歌い継がれてきた労働歌であり、歌詞には生活と風土が歌いこまれている。奄美独特の音階と裏声を使った発声法で知られる。八月踊りは秋の豊年祭などで踊られる民俗舞踏である。伴奏に使われる楽器はサンシンと呼ばれる蛇の皮を張った三味線の一種とチヂンと呼ばれる小型の太鼓である。どちらも奄美の日常生活の折々に、また種々の行事の際に歌い踊られ、大切にされてきた。しかし、近年は歌詞が方言で、子どもたちには理解しにくく、口伝えで覚えなくてはならないなどの理由で、若い世代には歌うことも踊ることもできない者が増えていた。
そこで金久保育所では、子どもたちが自然にシマ歌や八月踊りに接する機会が得られるよう工夫している。例えば地域の老人ホームのお年寄りや近くの高校の生徒達と一緒に踊ったり、歌者(ウタシャ)坪山豊氏(9)を招いて、伝統行事だけでなく誕生会、運動会、発表会などの折にもこれらの歌や踊りをとりいれている。サンシン、チヂンなどの楽器は、子どもたちが自由に使えるように準備してある。サンシンで「もしもしかめよ」「ゾウさん」「ももたろさん」など、子どもたちが知っている童謡を弾き始めると、子どもたちは興味津々で寄ってきて、やがてはお年寄りの声に合わせてシマ歌を歌うようになり、見よう見まねでサンシンの弦をはじき、チヂンをたたくようになるという(10)。
4.自然環境を生かす−野外の遊び、伝承の遊び
豊かな自然環境が利用できるのは土地柄の強みである。金久保育所では、子どもたちを野外に連れ出し、積極的に自然にふれる体験をさせている。それも、河原で弁当を広げるといった程度の野外体験ではなく、たとえば子どもも保育士も川に入ってテナガエビをとったり、カニをとったりする。この時にも前述の川畑豊忠氏の協力を得て、わらべ歌を歌いながら子どもたちと一緒にエビをとる。雨空をながめながら「アミィガナシ、アミィガナシ…(雨の神様、雨の神様)」、川原で腹ばいになって「ティダクムガナシ、ティダクムガナシ…(太陽の神様、太陽の神様)」などと、古くからその時々にきまって発する言葉を唱えながらエビをとるという。子どもたちは、川に入り水にふれながらわらべ歌を聞き、聞き覚えたものを声にする。
この他の屋外の活動として、野原や海岸で行う草木遊びがある。これは親子遠足などで海辺や野原、川原などに出かけた時に行われるもので、身近に手に入る草木を使って遊んだり玩具を作ったりする。アダンの葉、ソテツの実や葉、バショウ、ガジュマル、笹、ゴムの葉などを使って風車や笛、人形、帽子、舟、籠などの玩具を作る。ここでも川畑豊忠氏が活躍する。ナイフの使い方、材料の加工の仕方、舟の作り方、籠の編み方等、氏が幼いころから伝え聞いてきたものである。子どもたちは氏が作るところを見て、関心を持ち、さらに実際に作ってみる。自分たちで作った竹とんぼが飛ぶと、その喜びと驚きを体全体で表現するという。
市販のプラスチック製のおもちゃや電子ゲームが氾濫しているのは奄美の子どもたちの周りでも同じことであるが、金久保育所の子どもたちは自然の中で一日中遊んでも飽きないという。子どもたちに奄美で生まれ育った喜びと誇りを育てていくためにも、自然体験と伝統文化を保育の場で生かすことは大切であると報告は結んでいる(11)。
5.結びにかえて
地域社会の希薄化、あるいはコミュニティの喪失と言われる現象は1960年代の高度経済成長期以降に顕著になった。自然環境は損なわれ子どもたちの生活も変わっていった。その過程は日本人の生活水準の向上とも並行していたため、損なわれるまま、変わるままにまかされることが多かった。
最近の地域社会再生や自然回帰の動きは、一定の歳月を経て初めて、失いつつあるものの大切さに気づいた反省から起こってきたものといえるだろう。奄美大島の事例でも、このような保育を始めたきっかけとして方言が変わり、子ども集団、ムラ社会が失われつつあるという危機感があったという(12)。
金久保育所の事例をみてまず気付くことは、条件さえ整えれば、伝統的な民話やわらべ歌、昔ながらの自然の中での遊びは、現在の子どもたちにとっても十分に魅力があるということである。自然は自由な遊びの舞台である。子どもたちがさまざまな発見をし、身の回りの環境を身体で理解する体験の場である。ひとり遊び中心の現代の遊びには無いさまざまな要素を持っている。伝承玩具を作る場合なら、自分で材料を探さなくてはならない。作り方も年長者や仲間から教えてもらい、あるいは力を合わせて工夫しなければならない。そうして玩具を完成させれば達成感も大きいだろうし、一緒に作った仲間と喜びを共有できる。わらべ歌やシマ歌もお年寄りや仲間たちから習い、やがて一人前に歌い踊れるようになる。一人前にできるようになれば次には年少者や初心者に教えるという役割も果たすことになる。ここでお年寄りや年齢の異なる相手とのつながりが生まれる。習い覚える歌や踊りは自分たちが住み暮らす地域の伝統文化である。
これらの遊びにお年寄りの果たす役割が大きいことは特筆すべきである。一般に日常の仕事で忙しい親世代より自由な時間をとりやすいし、お年寄りにとっては若いころに身に付けた事柄を子どもたちに伝えることは、自らの子ども時代や青年期、壮年期を追体験することにもなり、心身を活性化し、社会参加の機会にもなる。お年寄りと子どもたちがうまく結び付くのは伝統文化の伝承が介在するが故でもある。
しかし、このような保育環境を実現するためには工夫と努力が必要であることは上述の事例からも明らかである。奄美大島は伝統文化や自然環境に恵まれてはいるが、子どもたちが知らず知らずのうちにそれらにふれるようにするには、積極的に、また意識的にそのような環境を整えなくてはならないということも銘記すべきだろう。
伝統文化と自然を生かした成育環境は、それぞれの地域で長い歴史を重ねてきたもので、相応の安定性と妥当性をもつものである。子どもたちをとりまく環境がめまぐるしく変化する現在、本来あるべき成育環境を考える上でも、また保育の原点に立ち戻るという意味でも上述のような試みは重要な意味をもつものと考える。
〈注〉
- (1) この保育園の記録が2008年にドキュメンタリー映画「里山っ子たち」、その続編として「小さな挑戦者たち」と題され制作されている(原村政樹監督・株式会社桜映画社)。
- (2) 会の活動は1985年から続けられていて、その内容は相川明子編著『土の匂いの子』2008 コモンズにまとめられている。
- (3) 第5回のコンクールは2009年1月、東京・両国で行われた。日本損害保険協会、朝日新聞社、ユネスコ、日本災害救援ボランティアネットワークが主催し、文部科学大臣賞、防災担当大臣賞、消防庁長官賞などをはじめ、主催団体からも数々の賞が用意されている。この回の「探検隊」に参加した子どもたちは9300人にのぼり、241の学校・団体から1235点の応募があった。
- (4) 嘉原カヲリ 「亜熱帯の島の子育て−奄美の郷土文化を保育に−」 松本泰丈・田畑千秋編『現代のエスプリ別冊 奄美 ヤマトとナハのはざまで』至文堂 2004年 所収
- (5) 嘉原カヲリ 前掲書 P117 参照
- (6) 民俗調査の中で、インタビューの対象者(インフォーマント)として適している人物を伝承者という。伝承者は、必ずしも昔のことをよく知っていると思われる高齢者ばかりではなく、たとえ比較的若い年代でも、伝統的な生活に関心を持ち、祖父母や村の古老などから民間伝承をよく受け継いでいて、その伝承をうまく周囲に話して聞かせることのできる人を指す。
- (7) 川畑豊忠氏は奄美市に隣接する大和村出身、奄美民俗の伝承者として著名。氏の口承を基にした書籍が多数出版されている。田畑千秋編著『奄美名音集落の八月歌』1991年 天空舎、田畑千秋編著『奄美のわらべ歌−名音集落の子供遊び』1992年 天空舎、田畑千秋編著『奄美の暮らしと儀礼』1992年 第一書房、田畑千秋・川畑豊忠著 『奄美の口承説話−川畑豊忠翁二十三夜の語り』2005年 第一書房 参照
- (8) 嘉原カヲリ 前掲書 p117−121 参照
- (9) 坪山豊氏は奄美随一の民謡の歌い手として著名。1980年第1回奄美民謡大賞を受賞。新シマ歌・ワイド節の作曲者。レコード、CDなど多数を発表。民謡の歌い手を奄美ではウタシャと呼ぶが、ウタシャは一般に、歌手としての仕事以外に、本業としての生業を持っている。坪山氏は造船業を営み、奄美伝統の木造板付け舟を建造できる数少ない人物である。
- (10) 嘉原カヲリ 前掲書 p120‐122 参照
- (11) 嘉原カヲリ 前掲書 p127 参照
- (12) 嘉原カヲリ 前掲書 p117 参照