内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第38号
特集:乳幼児期の探究III

「小一問題」についての一考察
浅見 均 青山学院女子短期大学 子ども学科 教授
はじめに
1.幼稚園、保育所における保育の基本
2.幼稚園、保育所における5歳児の生活
3.小学校1年生の生活の姿
4.「小一問題」についてのそれぞれの立場からの見解
5.保幼小の連携の現状
むすび

はじめに

幼稚園・保育所から小学校への移行期において、つまり小学校の1年生の4月からの数ヶ月において、子どもが立ち歩いたり、じっと座っていられなかったりして、授業が成り立たない状況が近年発生しており、これを「小一問題」或は「小一プロブレム」などと呼んでいる。そしてその原因として、家庭教育に問題がある。或は、幼稚園、保育所に問題がある。或は、小学校の教員の力量不足である等々様々なことが言われている。文部科学省はこれらの現状を踏まえ、平成21年4月施行の「幼稚園教育要領」において、「第3章指導計画及び教育課程に係る教育時間の終了後等に行う教育活動などの留意事項」の「第1 指導計画の作成に当たっての留意事項」の「2特に留意する事項」において「(5)幼稚園教育と小学校教育との円滑な接続のため、幼児と児童の交流の機会を設けたり、小学校の教師との意見交換や合同の研究の機会を設けたりするなど、連携を図るようにすること。」と幼稚園と小学校の連携について明文化している。また、厚労省も平成21年4月施行の「保育所保育指針」においてほぼ同様の内容を盛り込んでいる。本稿では、その所謂「小一問題」と言われている事柄に対して、どこに問題があるのかを様々な観点より考察し、さらに幼稚園、保育所、小学校の連携の在り方などについて考察してみたい。

1.幼稚園、保育所における保育の基本

幼稚園や保育所の保育の基本はどのようなものなのか、国のガイドラインである「幼稚園教育要領」や「保育所保育指針」から考えることにしたい。ただ、保育所保育指針は保育内容については従来幼稚園教育と同一歩調をとってきたが、2009年度より文言もほとんど同じ表現になるので、ここでは幼稚園教育要領を中心にして考えていくこととする。

幼稚園教育要領、第1章、総則によれば、「幼稚園教育は、学校教育法第22条に規定する目的を達成するため、幼児期の特性を踏まえ、環境を通して行うものであることを基本とする」(下線筆者加筆)と記述されている。そして「このため、教師は幼児との信頼関係を十分に築き、幼児と共によりよい教育環境を創造するように努めるものとする。」としている。また、これらを踏まえ、次に示す事項を重視して教育を行わなければならないとして、重視する事項(1)「幼児は安定した情緒の下で自己を十分に発揮することにより発達に必要な体験を得ていくものであることを考慮して、幼児の主体的な活動を促し、幼児期にふさわしい生活が展開されるようにすること」。 重視する事項(2)「幼児の自発的な活動としての遊びは、心身の調和のとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して、遊びを通しての指導を中心として第2章に示すねらいが総合的に達成されるようにすること」。重視する事項(3)「幼児の発達は、心身の諸側面が相互に関連し合い、多様な経過をたどって成し遂げられていくものであること、また、幼児の生活経験がそれぞれ異なることなどを考慮して、幼児一人一人の特性に応じ、発達の課題に即した指導を行うようにすること」(太字部は筆者加筆)としている。

幼稚園或いは、保育園に於ける教育は環境を通して行うことが基本になっているのである。「その際、幼児の主体的な活動が確保されるよう幼児一人一人の行動の理解と予想に基づき、計画的に環境を構成しなければならない。この場合において、教師は、幼児と人やものとのかかわりが重要であることを踏まえ、物的・空間的環境を構成しなければならない。また、教師は,幼児一人一人の活動の場面に応じて、様々な役割を果たし、その活動を豊かにしなければならない。」と保育者の役割を示している。つまり、保育者は、子どもがあくまでも生活の主体者であることを理解して、保育者は出すぎず、傍らからその育ちを支えていくことが重要な役割となる。これらのことを踏まえた保育で成長した5歳児はどのような姿になるのであろうか。次に5歳児の等身大の姿について考えていく。

2.幼稚園、保育所における5歳児の生活

ここで言う5歳児とは、幼稚園或は保育所における年長児を指す。実際には年長組の幼児は誕生日を迎えると6歳になり、3学期にはかなりの数の子どもたちは6歳になっている。その彼らの姿を考えてみると、幼稚園、保育所における乳幼児の最年長者として自覚を持ち、年下の子どもたちの面倒を見、自分たちの生活も自分たちの力でやっていこうという気概に満ちている時期であるといえる。著者の勤務していた幼稚園の例で言えば、4月の新入園児を迎える4月、5月には、新年長となった子どもたちが年少組の世話をする姿が見られた。年少組の部屋に入っていって、生活に慣れずに戸惑う3歳児に対して、優しくロッカーの位置や、何をどのように始末すればよいかを丁寧に教える。時にはトイレに行けなくて困っている3歳児に対して同行して、使用方法などを手ほどきする。少し前まで自分がされていたことを、やっているのである。少しなれたところで「はじめまして」の会をホールに皆が集って行う。歓迎の言葉や、うたを披露。そして、最後には自分たちが一生懸命に紙粘土に着色して作ったペンダントを首からかけてあげる。そんなところから年長組の生活はスタートする。


「友だちとおでかけ」(5歳女児)

年長組の生活を見てみると、先ず当番活動がある。皆で共同生活をするということにおける役割分担である。例えば、日直といわれる2人がその日1日クラスの生活を支えるリーダーとなり、朝の会や、昼食時、帰りの会などの司会進行を行う。その他に、飼っている生き物の世話をするのも年長組が率先して行われる。ある幼稚園では、保育者に促されることなく、年中組をリードしながらチャボの餌としての野菜を、包丁を使って微塵切りし、作り餌を与える。また、片付けの時間になると、当番の子どもがチェックリストを片手にボールや跳び縄の数等を確認する。その姿には年長組としての使命感や誇りが感じ取れる。


「スーパーマリオ8面」(5歳男児)

遊びに目をやると、例えば「お化け屋敷ごっこ」に興じる子どもたちの姿がある。「みんなでお化け屋敷作ろうよ」という一人の子どもの発案によってそれぞれの子どもたちの頭の中にお化け屋敷のイメージが膨らんでくる。うんと怖いお化けを作りたいという子、お化け屋敷には入場の切符が必要だという子、お化け屋敷にお団子屋さんを出したいという子、ポスターを描いて宣伝したいという子、本当に様々である。しかし、その様々な考えは、総て「お化け屋敷」のイメージを共有しての話なのである。そんなことができる力を持っている5歳児なのである。これら内発的動機付け(自らの意思によるやる気)による興の乗った遊びは持続性があり、話し合い、発展しながら数日間続くことが稀でない。また、興味のあるものへの観察眼や想像力は大人が太刀打ちできない感がある。例えば、女児がよく描いているお姫様や、お姉さんの絵であるが、よく見ると実に細かいところまで描き込まれている。それは、まさにファッションなどに対する羨望からの細かい観察力と想像力である。男児では、例えば、テレビゲームの一つの場面を観察し、実に細かい描写をして遊ぶ姿がある。

以上挙げたのは5歳児のほんの一部の姿である。しかし、実に頼もしい成長の姿である。

3.小学校1年生の生活の姿

筆者は、最近6月下旬に、ある市の公立の大規模小学校(1年生は1クラス34名で3クラス)と小規模小学校(1年生17名の単級)の参観の機会を得た。両小学校とも1年生は落ち着いて授業が行われ、授業が成り立たない状況は全く感じることがなかった。子どもたちは45分間私語も少なく椅子に座って静かに授業を受けていた。午前中4時間あり、4限が終わるのは12時30分近くであった。その間休み時間以外はほとんど座ったまま、話を聞くことが中心の授業であった。

国語の授業では、両方の小学校で「いろいろなくちばし」という文章について読むことが中心の授業であった。担任が「後について読んでください。ハチドリは ハイ!」というと子どもたちも後について「ハチドリは」と読んでいく。そのあとはハチドリのことについて書いてあることについての質問で読解力や思考力を養うものであった。子どもたちが挙手して指されたら答える。しかし、両校に違いがあった。それは、大規模校では34人を一人の教師が、小規模校では17人の児童に対して教師一人とティーチングアシスタントが一人付いていた。市町村合併直後ということもあるが、同じ市の中でも場所によってかなりの差があるということである。当然小規模校では落ち着いた行き届いた感じの授業展開があった。

大規模校での体育の授業では、3クラス合同であったが、クラスから体育館へ移動。担任「背の順です。お話やめるー。3,2,1シーッ」、体育館に着くと「きをつけ!前へ倣え!直れ。」子どもたちは三角座りで前を向く。タンバリンを使って、「前へ倣え!トン。直れ!ピシ。」「きをつけ。ピー!体操隊形にー開け!」といった具合に授業が進んでいく。体操が終わり、メインの活動はリレーであった。担任「よく聞いていない人は参加できませんので、横で見てもらいます。」説明が始まる。「リレー、競走です。これはリングバトンです。人数の調整をします。2回走る人がいます。最後の人はアンカーチョッキを着けます。」その後応援の仕方として、立たないで並んで応援することなど細かい約束の後ようやくリレーが開始された。

これが全てとは言わないが、小学校の1年生の生活の実態である。なんという幼稚園、保育園の生活との違いであろうか。個の育ち、自主性、自立に向かっての園生活から、全て受身で、教師の言うとおりにする子どもが良しとされる小学校の生活。子どもはその違いにカルチャーショックを起こさないのが不思議ともいえる。授業が成り立たないのも困るが、子どもの意思が封じ込められて授業が成り立ちすぎるのも問題だといえよう。ただ、小学校の教師を一概に批判できない。それは、1クラス最大40人の子どもたちに対して、今のカリキュラムで授業をしなければならないとすれば、仕方のないことなのかもしれないからである。


4.「小一問題」についてのそれぞれの立場からの見解

「小一問題」ということについて小学校・幼稚園・保育所は一体どのように考えているのであろうか。それぞれの立場の方々に調査をしたことがある。もちろん答えは様々であるが、興味深い回答を得た。

(1)小学校教諭の意見

小学校1年生の担任に対して「小一問題の原因はどこにあると思われますか」と質問したところ、「家庭の躾」、「保護者の多様な考え方」など家庭の在り方が多様化し、さまざまな考え方の親がいるので子どもが落ち着かなくなったというような解釈をする意見が多くあった。また「担任の指導力」と言い切る記述もあった。ここでは幼稚園、保育所に対する意見は書かれていなかった。では「小一問題はどのようにしたら解決できると思いますか」との質問に対して、「家庭との連携」という答えがあった。少し気がかりであったのが「全校を通じた学校規律の徹底。学級の壁を外し、学年全体で情報を共有し対応」という意見があったことである。何か問題がある時には教員皆で考えるということはある意味重要であるが、学校規律を徹底してということになると、ルールで子どもを縛ってしまわないのだろうかという危惧の念を持つ。しかし一方で、「個の尊重、学級の児童との信頼構築。その子と根気よく向き合い続ける」などの意見があり、子どもを一人の人として尊重することや、児童との信頼関係を築くことという他に原因を求めず、目の前の子どもと真摯に向き合うことが重要であるという考えを持つ人がいることは心強い。

(2)幼稚園教諭の意見

幼稚園の教諭に「小一問題についてどのようにお考えですか」と聞いたところ「満6歳を迎え、話を聞く、善悪の判断、信頼関係を結ぶ心地よさを体得している年齢。この発達の姿を取り違え小さなうちから無理な集まりをしたり、危険だからといってダメを押し付け大人の都合で子どもに経験させた反発の姿ではないか。社会のひずみの姿で気の毒」。という意見があった。実に的を射た答えであるように思える。幼児期にふさわしい生活が十分行われていれば自ずと話を聞く、善悪の判断、信頼関係を結ぶなどのことはできてくるわけであるが、そうしてこなかったことの歪みだというのである。これは、現代の保育の在り方に対する一部幼稚園の現状への厳しい指摘である。そして小一問題の解決については「幼稚園教育要領を各園が正しく理解し、意欲、自主性を育てていくことはもちろん、社会全体の認識を変えていかねば解決は困難。ある保護者より『幼児期に子どものペースに合わせ手間をかけることの大事さを入学させて実感しました。』と聞いたことがある。そして信じることが重要!」と記述している。また「移行期のギャップ等含め相互の連携が必要。」というもっと小学校との連携をもって事に当たることが重要であるという指摘もあった。また小一問題の解決に向けては「逆戻りできないが日本古来の良い部分を戻し、家庭も社会も、心や手をかけることでの生活の豊かさを評価するようにする。そのことによる家庭の教育力、躾がアップ。小1の教育に幼稚園教諭も加わる(意見交流・授業参加)。」という意見もあった。手塩にかけた子育ての重要性、それは必ず子どもに通じるものであろう。また1年生の授業に保育者もかかわるという意見も実現できるとよいことではあるがなかなか難しい問題でもある。一時期幼稚園と小学校の免許の併有ということが叫ばれたが、公立小学校が多く、私立の幼稚園が多い現実の中で相互に乗り入れてやっていくことは現実問題としては難しいことである。

(3)保育所保育士の意見

保育所は幼稚園と違い生活時間が長く、また在園期間も長いのが幼稚園との違いであるが、小一問題について「以前に比べ落ち着きのない子が増えていると感じる。製作する少しの時間でも、私語をする子や聞いていない子がいる。保育所では個別に時間をとり1人、或いは少人数で取り組んだりしている。学校では人数が増えるので大変だと思う。1人の職員が30から40人を見るのは難しいと思う。」「年々子どもが幼くなっていると思う。同時にテレビやゲームが子どもの手に届くようになってきた。父母も働き子どもを取り巻く環境の変化に追いまくられている気がする。そのようなことを考えると問題行動も仕方ない気がする」。「年々子ども力がなくなってきている(成長に伴い自然につく力)。話が聞けない子が増大している。理解力低下、集中力低下・根気の低下が主因である。また、当然分かっているであろうことが身についていない。育つ上での躾、モラルがなされていないからであろう。子どもの生活に関わる大人がしっかり子どもを受け止め心の教育を課題視していかねばならない。小1問題は育てる大人側の力の欠如と考える。」など子どもが変化している、或いは社会の変化の中で子どもが被害にあっているということを感じ、何よりも子どもとかかわる大人がしっかりと向き合う姿勢が重要であると指摘している。また、「就学時における基本的生活習慣が確立されていない。のびのびした生活から決まりの多い生活へと環境が急変するので戸惑いが原因になっている。」「入学してすぐに座学、傾聴は急にはできない。幼保の生活の中で少しずつ身につけていくことなので幼保から教育すべきと思う。」など保育所の生活と小学校の生活の段差に対しての問題指摘があった。

小一問題の解決については、「親子や大人との関係を見直し、子どもたちが自分の力で何かやりとげた喜びを経験し、心から友人や大人と喜び合える経験をたくさんしていくことだと思う。」や「遊びを中心とした総合的な幼保の学びから教科を中心とした小学校の学びへ滑らかに移行するカリキュラムの作成。保幼小の相互理解や交流。学校と家庭が連絡をとり授業をオープンにし、適当に緊張感を与える。」という指摘があった。実に的を射ている。また、「新保育指針にもあるように小学校との連携をとることが大切。互いの意見が自由に話し合える場があると良い。」などの意見があり、連携が叫ばれてはいるが実際はまだまだこれから具体化していくのだということが現場から伝わってくる。

5.保幼小の連携の現状

今行われている保幼小の連携の一つは子ども同士の交流である。例えば小学校運動会等への行事参加である。或いは、幼稚園や保育所の子どもたちが小学校に遊びに行き、高学年や1年生等の児童に面倒を見てもらい遊ぶ。或いは、幼稚園や保育所に児童を招いて一緒に遊ぶなどのことが行われている。これらのことは確かに小学校というところについて慣れるということにはなるが、それは5歳児が小学校や、児童の雰囲気に慣れるということに過ぎない。それは小一問題の根本的な解決には繋がらないだろう。さらに言うなら、年上の子どもたちに面倒を見てもらい、自分たちの力を過小評価されての遊びは、上で見てきたように、5歳児の等身大の姿からすれば、むしろ5歳児のプライドに傷をつけかねないだろう。この事は、1年生として入学してからも同じである。上級生がなんでもしてやることがいいのではなくて、小学校における生活の仕方について助けてくれることがありがたいのだろう。また、保育者と小学校教諭との研修会も多く持たれるようになり、それぞれの教育・保育内容の相互理解も進められている。この事は大変重要であり、大いに進めてもらいたいと思われるが、幼稚園、保育所の保育者が小学校の指導の在り方を保育に取り入れることはあってはならないことであろう。ここで気になる動きがあるので言及しておきたい。それは、品川区の「乳幼児教育実践のてびき」である。区のホームページによれば、品川区では保育園・幼稚園と小学校をスムーズにつなぐのが狙いで、このてびきを作成している。これは、就学前に基本的な生活習慣を身に着けられるように、0歳から小1前期まで年齢ごとに保育・教育内容をまとめた。ということである。てびきは、乳幼児教育の理念の中に「規範意識の芽ばえを育てる」と明文化しており、これは、話を「聞く」、状況を理解して「待つ」、学習の場で「座る」など、受け身が取れる教育を重視したということである。確かに幼児期から人の話を聞くことや、待つこと、座ることは集団生活をする中で重要なことになると思われるし、否定するものではない。しかし、それは幼児期のふさわしい生活の展開の中で自然な形でなされることであろう。例えば、「聞く」ことでは、保育者との信頼関係ができて、大好きな先生がお話ししてくれるということになれば、自然に子どもは話を聞くのであるし、「待つ」ことも、ブランコに乗りたいけれど、乗りたい人がたくさんいる。どうすればよいかみんなで考える中で、順番にするとみんなが乗れるということに気付いていき、自然に待つということが理解されていくのである。「座る」ことも然り、紙芝居が見たい、本を読んでもらいたいどうすればよいだろうか。そんな状況の中でどうすればよいかを自然に子どもは考え、学んでいく。それはことさら取り上げなくてもしていることであろう。さらに、5歳児を対象に芸術や体育を専門に教えるカリキュラムがつくられ、月2回それぞれの科目に対して外部講師を派遣するという。音楽の授業の様子が紹介されていたが、50分間椅子に座って授業を終了した旨が書かれていた。「聞く」、「待つ」、「座る」を目的としたこうした取り組みは、少なくとも今の幼児教育の考え方の流れには逆行するものであると考える。受け身がとれる教育の重視ということでの乳幼児期からの取り組みということは、小学校に行って扱いやすい子どもにするために前倒しで準備していくというふうにしか取れない。今日の教育の目的としての自立した人間、生きる力を持った人間の育成が重要であれば、受け身を打ち出すことはおかしいのではないかと思われる。もっと積極的な意味での幼児教育の在り方つまりは幼稚園教育要領や保育所保育指針の本旨を理解して打ち出す必要があるだろう。

また、小学校の教諭が幼稚園や保育所で行われている保育の部分を小学校の授業に持ち込むのも違うであろう。例えば、小学校で授業が始まる前に静かにさせるために手遊びを取り入れてうまくいっているかのような報道もなされているが、幼稚園や保育所でも決して静かにさせる手段として手遊びを使わない。手遊びはそれ自体が楽しいものであり、それ自体に目的を持っている。小手先の技術を駆使すべきではないだろう。むしろ、幼稚園や保育所と小学校が移行期の子どもにはどのような生活がふさわしいのかについて研究し、創り出すことを願う。年齢が幼ければ幼いほど教師との信頼関係、人間関係の構築が先ず重要なことになるであろう。教育は仁術であろうから。

むすび

「小一問題」について考えてきたが、文部科学省も幼稚園から小学校への円滑な接続という言葉を使いながら連携を求め、幼稚園、保育所、小学校、地方自治体それぞれに真剣に取り組み始めているのが現状であるが、まだまだ試行錯誤の段階といえよう。小学校の1年生の1クラス当たりの定員を見直し、少なくとも20〜25名程度に抑えることや、1単位時間を20分〜30分とすること、ティームティーチングを取り入れること、カリキュラムを見直し受け身で座学中心の学習から、より本格的な子どもの内発性を大事にした実体験型の教育内容の導入や、せめて1学期間はゆったりとした移行期間としてのカリキュラムなどが組まれる必要があるだろう。それが行われないまま相互の交流が進んでも、子どもの立場に立った改革は難しいのではないだろうか。子どもを今ある枠の中にどのように詰めていくかの方法論を考えるのでなく、目の前の子どもの事実を見て、抜本的に考えていく必要があるだろう。常に子どもを中心に据えて物事を判断していかないと間違うことがある。人は生まれてからどのような過程を経て自立した大人になっていくことが望ましいのか、大人に向けて今、ここでは何をどうすることが大切なのかを一人ひとりの子どもについて常に考え、支えていく必要があろう。小一問題については以前より関心を持っていたが、小学校の実地調査をしたり、アンケート調査をしたことにより、幼稚園、保育所、小学校の夫々の立場からの生の意見を聞くことができたことは大きな収穫であった。この小学校への接続の問題は幼稚園、保育所、小学校が垣根を越えて、子どもを中心に据え、研究していかねばならない大きな問題であろう。