内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第39号
特集:習得・活用・探究型学力の育成と評価の理論

小学校社会科における思考力・表現力育成の二つの方略
中本 和彦 四天王寺大学教育学部 講師
1.はじめに─「カワイイ」にみる社会科の授業の課題─
2.社会科の授業における思考と表現
3.今日の小学校社会科授業における思考力・表現力育成についての課題
4.思考力・表現力を育成する小学校社会科の授業─授業改善の二つの方略─
5.おわりに─二つの授業が示唆するもの─

1.はじめに─「カワイイ」にみる社会科の授業の課題─

近年、「カワイイ」という言葉をよく耳にする。とくに女の子がプラスの意味で評価するときによく使われる。そこには、対象がもっている繊細で微妙な差異は捨象されてしまっている1)

このことを社会科の授業に置き換えると、どのようなことがいえるだろうか。「ブラジルといえば、コーヒー…」「インドっていったら、カレー…」「奈良時代、大仏…」「鎌倉時代、いいくにつくろう鎌倉幕府…」等々。 こんな現状がよくみられるのではないだろうか。これらには、深い思考や豊かな表現はない。しかし事実としてよくみられ、耳にする光景である。原因はいくつか考えられようが、次の二つをあげることができるのではないだろうか。一つは社会科の授業が思考を生むものとなっていない。もう一つは社会科の授業が思考させているようで実は答えの方向が決まっていて本当の意味での思考をさせていない、というものである。前者については「事象の事実の理解に止まる社会科の授業」に、後者については「人物の行為についての共感的理解に止まる社会科の授業」にみることができよう。

本稿では、まず、前者と関連付けながら社会科の授業における思考と表現の関係について述べる。次に後者と関連付けながら今日の小学校社会科の授業における思考力と表現力育成の課題について述べる。そして最後に、思考力と表現力を育成する小学校社会科の授業改善の方向性を、二つの授業を具体的事例として取り上げて提案する。

2.社会科の授業における思考と表現

授業は、基本的には「問い」と「答え」で成り立っている。「問い」は授業者が投げ掛ける場合もあれば、児童が発見する場合もあろう。「答え」についても児童が推測することもあれば、授業者が解説することもあろう。しかしいずれにおいても、授業は「問い」と「答え」で基本的には構成され、その「問い」と「答え」は裏表の関係となっている。ゆえに、「問い」に注目すれば、何をどのように学習させる授業なのか、授業の性格をより明らかにすることができる。社会科の授業における思考と表現の関係も、「問い」に注目すると見えてくる。

例えば、ある授業で先生が「○○は何年ですか?わかる人…」と問う。簡単なときは多くの児童が手を挙げる。しかし難しいときは一斉に教科書がめくられる。答え探しの始まりである。速くみつけた児童から手を挙げる。先生は少し間を置いて複数の児童の中から「△□さん」を指名する。そのときの周りの児童の関心は「△□さんの答え」ではなく、自分ではない「△□さん」か…ということと、「何年」という「答え」が教科書の記述と一致しているかどうか、ということに集中される。「△□さん」と「答え」は切り離され、両者の間に関係性はない。もし「△□さん」が発する「答え」が教科書の事実と異なっていたら自分が答えるチャンス到来、ということである。ゲーム的な授業であろうと、淡々と進めらた授業であろうと、「何年」という事実の確認に思考はないのである。また、答える児童の表現に児童なりの表現を挟む余地はない。そして、児童と何の関係性もない「答え」に対しては、個としてお互いの声に耳を傾けようとする場の形成も行われないのである。ゆえに、このような「事象の事実の理解に止まる社会科の授業」からは、深い思考や豊かな表現は生まれないのである。

一方、次のような「問い」の場合、「答え」や授業はどうなるであろうか。「貴族って何?」、「武士って何?」、「幕府って何?」、「中世って何?」(中世って一体どんな時代?)、あるいは「都市って何?」、「広島って何?」(広島って一体どんなところ?)等々である。このような「問い」に対しては、児童だけでなく、我々さえも持っている知識を総動員しなければならない。なぜなら自分なりの解釈が求められるからである。そして、「○○だ。」と答えたなら、直ぐさま「なぜ?」とその自分なりの解釈の理由について、説明を求められる。

このように「問い」が異なれば、授業が変わり、思考や表現が変わる。「問い」がwhen、where、who、what といった場合、その答えは事実的知識となり、知っているか知っていないかが問われ、思考は生まれない。また、答えは単語として表現される。思考はもちろん、豊かな表現も生まれない。ところが、二つ目の例のように「問い」が、個性や本質についての解釈を問うwhatの場合、あるいはその説明に用いられるような事象間の因果関係や目的手段の関係を問うwhyの場合、問いと答えの間に思考が生まれる2)。そのとき、表現は個性的となり、文や文章となるのである。そこでは一言一句同じ表現とはならない。大きな差異の場合は他の「答え」が求められ、提案され、討論される。微妙で繊細な差異を含みながらも周囲の同意、納得や了解が生まれた場合は次の展開へと進む。そのとき、教室は、お互いの声に耳を傾けようとする場(コミュニケーションの場)となっている。

これまで社会科における観点別評価は、4観点で評価され、思考と表現は別々の観点とされてきた。しかし、それは便宜的なものでしかない。思考力と表現力育成は、別々のものとしてとらえるべきではないのである。思考は、「問い」と「答え」の間にある。そして、思考がその成果としての表現を豊かにするのである3)

3.今日の小学校社会科授業における思考力・表現力育成についての課題

今日の小学校社会科授業の多くは、「人物の行為についての共感的理解に止まる社会科の授業」となっている。例えば、スーパーマーケットの授業であれば、スーパーマーケットではたらく人々の工夫や努力を取り上げ、「なぜ」、人々はそのような工夫や努力をするのか、調べ学習やインタビューを行い、「(買い物に来る人の思いや願いを叶えて)お客さんの喜ぶ顔が見たいから」、「新鮮でおいしいものを食べてもらいたいから」、というスーパーマーケットではたらく人々の思いや願いを共感的に理解し、そのお陰で安心して便利に買い物ができることを感謝するものとなっている。農業であれば、米作り農家の工夫や努力を取り上げ、おいしい米を食べてもらうために努力していることを共感的に理解し、その工夫や努力によって自分たちがおいしいお米が食べられることを感謝するものとなっている。

これらの例に共通していえるのは、人々のお陰によって今の社会が成り立っているという「社会観」を、すなわち態度形成を主なねらいとしている、ということである。リアルな「社会」を理解したり、思考したりすることはねらいとされていない。一定の価値によって選択された人々の行為や事象を内容とし、人々の行為に含まれた思いや願いを調べ学習などで五感によって共感的に理解させる方法になっている。このような授業構成によって、お陰様を感謝し、社会に貢献しようとする態度を形成しようとしている。

しかし、本当のところ、授業の実態はどうなのだろうか。児童の方も、このような授業に慣れているのではないか。幾度となくこのような授業を受けた児童は、「なぜ」と問われ、思考しているようで社会についてのリアルな思考はしていないのではないか4)。児童は先生が望んでいる「答え」を見透かしている。そこで児童に必要とされているのは、様々な方向から批判的に吟味するための理性的な思考や判断ではない。ある一定方向に共感する(共感したように振る舞うための)感性であり、あるいは教師が望んでいることを先回りする少しばかりの打算である。児童はほめられたいのである。ある児童が教師が望む「答え」を答える。周りの他の児童が「同じです。」と賛同する。そこでは他の方向からの発言が許される空気はない。本当は微妙に違っていても「カワイイ」の一言で共感することが仲間であるかのように、同意することが、取り残されないための良い振る舞いなのである。つまり、このような授業では、思考も表現も、選択肢は用意されており、限られているのである。

このように、「人物の行為についての共感的理解に止まる社会科の授業」は、リアルな社会の仕組みから児童の目をそらし、児童の社会認識を一方向に閉ざしてしまう。そこからは、深くて広い思考や豊かな表現は生まれてこないのである。

4.思考力・表現力を育成する小学校社会科の授業─授業改善の二つの方略─

それでは、思考力・表現力を育成する小学校の社会科の授業とするには、どのようにしたらよいだろうか。一つは「なぜ」の連続的追究による授業改善であり5)、もう一つは構造化による授業改善である。まず、具体的な授業事例を取り上げて、それぞれみてみよう。

(1)「なぜ」の連続的追究による小学校社会科授業改善
─単元 「わたしたちのくらしとはたらく人びと〜店ではたらく人びとの仕事〜」─


「なぜ」の連続的追究による小学校社会科の授業として倉敷市立老松小学校橋本秀基教諭の3年生単元「わたしたちのくらしとはたらく人びと〜店ではたらく人びとの仕事〜」の実践例がある6)。本単元の学習過程を示したものが表1であり、橋本実践の学習内容と学習過程の基本的な骨組みを、若干の修正を加えて再構成したものが、図1である。

表1 単元「わたしたちのくらしとはたらく人びと〜店ではたらく人びとの仕事〜」(12時間)の学習過程
学習過程 学習活動・学習内容 目的


学習問題の決定
・資料(おばあちゃんの子どものころの買い物とお母さんの買い物)から、疑問を出し合う。(なぜ、昔はバラバラの入れ物なのに、今はパックが多いのか?どこに買い物に行っているのか?)
・「買い物調べ」を行い、家の人はどこで買い物をしているか調べる。
・学習問題を決定する。(「なぜ、スーパーマーケットで買い物をする人が多いのだろう?」)




































仮設の設定
・「聞き取り調査」を行い、結果を発表し合い、仮説とする。(新鮮だから、安いから、品数が多いから、サービスがよいから、駐車場があるからetc.)
・スーパーマーケットの工夫として5項目(安心・安全、安さ、品数、サービス、施設・設備)にまとめ、スーパーマーケット見学の視点に設定する。
調べる
(検証)
・「スーパーマーケット見学とインタビュー」を行い、仮説を検証する様々な事実を収集する。


まとめる
・調べてきたことを、各グループごとにまとめ、発表の準備をする。


発表する
(まとめ)
・スーパーマーケットの工夫の事実を発表する。
・まとめをする。(「スーパーマーケットは消費者のニーズにあった商品をそろえている。」「スーパーマーケットは消費者のニーズに応えるようなサービスを行っている。」だから、たくさんの人が買い物をしているんだ。)
新たな
学習問題
の追及 I
 
・新たな資料の提示(ハピースーパーは、周辺の学校や幼稚園の運動会の日程を知っている。)
問い
・新たな学習問題の設定(「なぜ、スーパーマーケットは、老松小学校の運動会の日程が必要なのだろう?」)
仮説
・予想を立てる。(「お弁当の材料を買いにくるからではないか。」)
検証
・資料(様々な商品の売り上げのグラフ、来店者数、商品の発注数)の提示(ミニトマトと鶏肉が売れてる。弁当の材料を買いに、たくさん仕入れる必要があるから、運動会の日程を必要としていたんだ。)
まとめ
・スーパーマーケットは、消費者のニーズを知るために、情報を集めている。
新たな
学習問題
の追及 II
問い
・新たな学習問題の設定(「なぜ、スーパーマーケットは、こんなにたくさんの工夫をするのだろう?」)
仮説
・予想を立てる。(「お客さんにいっぱい利用して欲しいから。」「たくさん売るため。」「儲けるため。」)
検証
・ゲストティーチャー(店長さん)の話を聞く。
(たくさんのお客さんに来てもらうために、次の三つを考えている。)
1安全な商品を売りたい。
2いつも必要なものがあるようにしたいので情報を大切にしている。
3気持ちよく買い物をして欲しい。
・お客さんに信頼されるお店にすることで、利益をのばすことができるから。
10

11
学習成果
の応用
・検証
 
・他の事実の提示(「スーパーマーケット以外にも買い物に行っていた。」)
問い
・新たな学習問題の設定(「なぜ、他のお店に買い物に行っているのだろう。」(値段が高いのに、なぜコンビニで買い物をする人が多いのかな。なぜ、小さな魚屋さんで魚を買う人がいるのかな。)
仮説
・予想を立てる。(「コンビニは24時間営業だから。」「魚屋は家の近くで歩いていけるから。」etc.)
検証
・コンビニエンスストアと魚屋の事実集め。
まとめ
・お店の特徴を活かしながら、消費者のニーズに応えられるような店作り(経営)を行って、利益を上げている。
12 学習成果
の発展
問い
・新たな学習課題の設定(「賢いお客さんになるためには、どんなことに気をつけたらよいだろうか?」)
話し合い
・上手に買い物をするために気をつけることを話し合う。(「新鮮かどうか確かめる。」「チラシをよく見る」etc.)
<オープンエンド>

(平成16年11月5日に実践された倉敷市立老松小学校教諭橋本秀基学習指導案から発表者作成。)
図1 単元「わたしたちのくらしとはたらく人びと〜店ではたらく人びとの仕事〜」の意味連関
@社会的事象についての一般的傾向性

本単元の学習内容は、目に見える事実から目に見えない事実へと一般化の度合いを高め、商店の経営活動についての一般的傾向性という、社会のしくみを理解させるものとなっている。具体的には、まず、スーパーマーケットを事例として取り上げ、「パック詰めしてある。」などの具体的な見える事実から、「○スーパーマーケットでは、安心して買い物ができるようにしている。」という一段階一般化を進めた事実を獲得させる。次に、他の事実と合わせて「◎スーパーマーケットは、消費者のニーズにあった商品を販売している。」というさらに一段階上の事実を獲得させる。そしてさらに他の事実と合わせて「●スーパーマーケットは、消費者のニーズに応えるような店づくり(経営)をして、利益を上げている。」という上位の事実を獲得させるものとなっている。これらの事は、下位の事実が上位の事実の手段であり、上位の事実が下位の事実の目的という、目的−手段の関係になっている。いわば、スーパーマーケットの工夫の事実を、目的−手段のピラミッド構造としてとらえているといえよう。そして、コンビニエンスストアや魚屋といった、スーパーマーケット以外の店にこの構造が広げられ、それらも合わせて、さらに大きなピラミッド構造を形成させ、その頂点として「◆お店の特徴を活かしながら、消費者のニーズに応えられるような店作り(経営)をして、利益を上げている。」という、商店の経営活動についての一般的傾向性であり、他の事象にも転移可能な理論的知識を獲得させようとするものとなっている。

A「なぜ」の連続的追究と応用・検証

学習過程は、大きく二つのパートによって構成されている。一つは、「なぜ」の連続的な追究による理論的知識の発見・創造であり、もう一つは、その理論的知識の応用・検証である。具体的には、例えば本単元の9〜11時間目をみると、スーパーマーケットが地域の運動会の日程を知っているという事実から、「なぜ、スーパーマーケットは、運動会の日程が必要なのだろう?」という「なぜ」の問いを導く。次に、児童の体験知と学習したスーパーマーケットの他の工夫から「お弁当の材料を買いに行くからではないか。」という仮説を立てさせ、資料(商品の売り上げのグラフなど)に基づいて検証させ、「スーパーマーケットは、消費者のニーズを知るために、情報を集めている。」という事実を獲得させる。そして、さらにそこから上位の問いとして、「なぜ、スーパーマーケットは、こんなにたくさんの工夫をするのだろう?」という新たな「なぜ」を設定し、仮説を立てさせ、店長さんの話によって検証していく。このように、学習過程が、「事実の確定→問い(なぜ)→仮説→検証→新たな問い(なぜ)→仮説…」という「なぜ」の連続的な追究となっている。そして、この追究によって得た「●スーパーマーケットは、消費者のニーズに応えるような店づくり(経営)をして、利益を上げている。」という知識を、他の店(コンビニエンスストア、魚屋)でも同じことがいえるかどうか(「なぜ、他のお店に買い物に行っているのだろう?」)と応用・検証させ、商店一般の経営活動へと知識の一般性を高めている。このように、学習過程は、科学的探究過程に沿ったものとなっている。

(2)構造化による小学校社会科授業改善─単元「日本の漁業」─


構造化による小学校社会科の授業として筆者が開発した5年生単元「日本の漁業」がある7)。本単元の単元計画、単元構成は以下のようになっており、単元の知識の構造図を示したものが図2である。

〔1〕単元計画(全9時間)

第1次: @豊かな日本の漁業… 1時間
第2次: @日本の漁業は大丈夫か?… 1時間
A漁業で働く人々のくらし… 2時間
Bなぜ、外国産の輸入が増えているの?… 2時間
第3次: @日本の漁業は活性化できるか?… 2時間
A日本の漁業から見えるもの… 1時間

〔2〕単元構成

  主な問い 学習内容
@
○なぜ、日本人はこんなにたくさんの魚介類を食べているんだろう?
○日本近海は、たくさんの魚介類が穫れるため、昔からたくさん食べていた。
○なぜ、日本の近海ではたくさんの魚が穫れるのだろう?
○暖流と寒流がぶつかって、プランクトン豊富な良い漁場になっている。
A
◎日本の漁業っていったいどうなっているのだろう?
◎漁業の生産量は減少し、働いている人も減っており、高齢化が進んでいる。危機的な状況ではないか。
◎どんな疑問が持ちますか?
【学習課題の設定】
◎なぜ、日本の漁業の生産量は減っているんだろう?
◎なぜ、漁業をする人が減り、高齢化が進んでいるんだろう?
◎日本人は魚が獲れなくなった分をどうやって補っているんだろう?
◎どうしたら、日本の漁業はもっとさかんになるのだろう?
B
○沿岸漁業、沖合漁業、遠洋漁業、養殖漁業のグループに分かれ、それぞれどんな漁業なのか(穫れる魚、漁の場所、漁法など)、またその漁業をしている人のくらしはどのようなくらしなのか(漁の1日、収入など)を調べてみましょう。
○どんな漁業(穫れる魚、漁場、漁法など)…(略)
○漁の1日、収入など…(略) (小松正之監修『日本の水産業』ポプラ社、2008参照。)
◎なぜ、漁業をする人が減り、高齢化が進んでいるのでしょう?
◎たいへんな仕事だし、それに見合う収入がないから、漁業をやろうとする人が減って、高齢化が進んでいる。
◎なぜ、収入が少ないのだろう?
◎魚が減ってきて、大きくなる前に穫ってしまい、値段が高い大きな魚は少なく、収入が減っている。<沿岸漁業>
◎小さなサバをたくさん穫っても、安くてもうからない。<沖合漁業>
◎マグロは人気があり、値段も高く、外国からたくさん輸入されており、値段が下がってきている。マグロの数も減っており、国際的な条約や協定で取り決めをしているのでたくさんとることができないため、収入が減っている。<遠洋漁業>
C
◎なぜ、日本はこんなに魚介類を輸入しているのでしょう?
◎日本で穫った漁では足らない。だから、輸入している。
◎輸入した外国産は値段が安い。だからたくさん輸入している。
◎日本の若い主婦は魚の料理が苦手だったり、日本の子どもは骨があり食べにくい魚が嫌いだったりするので、消費者が好むよう、人件費が安い外国で魚を調理し、料理しやすくしたり、食べやすくしたりして輸入している。
D
◎日本の漁業っていったいどうなっていると言えるでしょう?
◎@日本の漁業は、近海の豊富な魚介類に支えられ、昔からさかんだった。
A今は、穫りすぎや国際的な取り決めによって魚があまり獲れなくなってきている。
BAによって漁業者の収入が少なくなっている。
CBなどにより、漁業従事者は減少し、高齢化が進んでいる。
D不足しているだけでなく、外国産の方が安くて調理されているため魚を扱うことが苦手だったり、魚嫌いだったりする消費者に好まれ、輸入に頼るようになっている。など。
◎それでは、日本の漁業は、これからどうしたらいいのでしょう?
 
○養殖漁業で日本の漁業の危機をカバーできるでしょうか?
○養殖漁業を行うのに適した海には限界があり、エサの自給率は低く外国に頼っている状況で、あまり期待できない。
○それでは、他には漁業を活発にする取り組みはないでしょうか?魚が増えるようにする取り組みとしてどのようなことをしているでしょう?調べてみましょう。
○網の目を大きくして小さな魚を逃がすようにする、栽培漁業、海洋牧場の試み、森の保全による豊かな海の回復運動、各国の漁業協定などによって穫る魚を決めている、など
○魚を増やす以外に日本の漁業が活発になる取り組みはないでしょうか?
○冷凍・保存技術を進歩させ、新鮮さを保ったまま輸送できるようにしたり、生きたままの魚を消費者に届けたりして、消費者に好まれ、高い値段で買ってもらえるよう工夫している。
○他の取り組みはないでしょうか?みんなは、「関アジ」「関サバ」という名前を聞いたことがありますか?
○地元で穫れた新鮮な、おいしい魚を、消費者に高く買ってもらうため、ブランド化してPRしている。
◎日本の漁業について、学習してわかったことをまとめてみましょう。
◎日本の漁業は、・漁獲量の減少、・漁業従事者の減少・高齢化、・輸入増加などによって危機的な状況にある。その背景にはa.魚の穫りすぎや国際協定、b.収入の少なさ、c.食生活における魚離れと輸入魚の安さなどがある。停滞する漁業の活性化策として<1>魚を増やす取り組みとして栽培漁業や豊かな魚の回復運動など、<2>新鮮さを保って高く売る工夫として進んだ冷凍・保存技術による輸送手段の高度化、<3>他の地域との差別化によって高く売る工夫として商品のブランド化などが行われている。
E
◎これまで学習してきた日本の漁業について、漁業だけじゃなくて他の産業にも、例えば農業にも似ていること(共通点)ってないだろうか?説明してみよう。
◎日本の漁業はこれからどうなるでしょう?
◎<農業>
・農業従事者の減少・高齢化
・国際的な取り決め
・輸入の増加
・食生活の変化
・輸送手段の高度化
・商品のブランド化 など
<オープンエンド>
図2 単元「日本の漁業」の知識の構造図

本単元は、「今の日本の漁業っていったいどうなっているのか?」という日本の漁業の本質を問う問いに対する答え、「◎日本の漁業は、漁獲量の減少、漁業従事者の減少・高齢化、輸入の増加などによって危機的な状況にあり、栽培漁業や輸入手段の高度化、ブランド化などによって生き残りを模索している。」を最上位に位置づけ、これを最終的に解釈、習得させることをねらいとしている。そして、この総合的な日本の漁業についての見方(解釈)を、【課題】と【解決策】に分け、下位に「産業従事者の減少と高齢化」、「国際的な取り決めによる影響」、「輸入量の増加」、「食生活の変化」、「輸送手段の高度化」、「商品ブランド化」などを位置づけ、構造化し、その全体を学習内容としている。これらは、漁業だけでなく、日本の農業にも見られる共通性である。本単元は、日本の漁業の解釈のみならず、他の産業にも共通してみられるこれらの共通性を習得させようとしているのである。そしてそのような、「日本の漁業って一体どうなっているのか」という構造的理解から、農業も含めた「日本の産業構造っていったいどうなっているのか」という問いの理解へ、さらには日本社会の理解へと、児童の社会認識の射程を拡大・発展させることをねらっている。

学習過程は、「なぜ」の問いによって下位の学習内容を習得させ、それを活用して上位に位置付く「日本の漁業っていったどうなっていると言えるでしょう?」という日本の漁業の構造全体を解釈させるものとなっている。紙数の関係上、細かな学習過程の紹介は省略してあるが、「なぜ→仮説→資料による検証→新たななぜ→仮説→…」という科学的な探求過程となっている。

5.おわりに─二つの授業が示唆するもの─

これまでの思考力・表現力育成にかかわる社会科の授業の課題は、大きく二つあった。一つは、事象の事実の理解に止まることであり、もう一つは人の行為の理解による態度形成が中心となり、児童の社会認識を閉ざしていたことであった。

ここで取り上げた二つの授業は、前者が人の行為を目的−手段の意味連関によって一般化させるというミクロな視点に立っているのに対し、後者はよりマクロな視点から社会(産業)を構造的にとらえ一般化させている、という相異点がみられる。しかし、いずれも「なぜ」を中心とした問いによって、他に応用可能な理論的な知識の獲得をめざしている。授業で取り上げられる「なぜ」という問いと、導き出される理論的な知識は、児童が日常の世界では発見することが難しい、知的に挑戦するものである。問いは科学的な探求過程に沿って探求され、そこで獲得される見方・考え方(理論)は反証可能性を残しながら習得されるものとなっている。すなわち、児童に開かれたものとして習得されるものとなっている。このように二つの授業は、いずれも今日の小学校社会科の授業の課題を乗り越える授業といえる。

以上のような「なぜ」の連続的追究による授業と構造化による授業は、児童を日常の世界から解放し、児童の社会認識をより深化・拡大させるものといえよう。すなわち、児童の思考力をより深化・拡大させるものといえよう。それと同時に、これらの授業は、学習の過程で、仮説を立てること、資料を読み解き検証すること、事象間の関係を説明すること、あるいは解釈し、論述することを求め、豊かな表現力を育成するものとなろう。そして、教室は、一人一人の発言の機微な差異を大切にしつつ、自立した個人の意見を持つことを助ける、豊かなコミュニケーションの場となるだろう。


<注>
1)菅野仁『友だち幻想−人と人の<つながり>を考える−』ちくまプリマー新書、2008年、pp.140-141参照。
2)森分孝治「社会科における思考力育成の基本原則−形式主義・活動主義的偏向の克服のために−」『社会科研究』第47号、1997年、pp.1-10参照。
3)ここでは、事実認識は必要ないと言っているのではない。そこに止まることを問題としている。また、他にも問いには、how、which、という問いが考えられよう。howは概括的な事実的知識を問う問いであり、十分な思考は生まれない。whichについては、意思決定など規範的な知識を問う問いとして、思考力を育成するということができるが、その際にも、根拠となるwhyが重要となる。
4)例えば、「なぜ、スーパーマーケットでは、取りにくいのに牛乳は古いものが前に置かれ、新しいものが後ろに置かれているのか?」、「なぜ、5時からしか、しかも総菜や刺身しか値引きをしないのか?」、あるいは「なぜ、農業を行う人は高齢者が多く、年々減っているのか?」、「なぜ、農業収入は少ないのか?」といったリアルで知的に挑戦する「問い」は取り上げられない。
5)森分孝治「『なぜ』『どうして』の連続的追究」『学校教育』No.912、1993年、pp.6-11参照。
6)橋本秀基実践については、拙稿「『調べ学習』の特性を活かした社会科授業構成の論理−小学校地域学習を事例として−」、『社会認識教育学研究』第20号、2005、pp.11-20参照。
7)本授業の詳細については、当面は、拙稿「対抗マジックワード−『習得・活用・探究』を冷めた目で見る−」全国社会科教育学会第58回全国研究大会課題研究・発表レジュメ、2009.10.11を参照願いたい。