1.乳幼児に読み聞かせが上手になるために
2.事例
3.絵本は楽しむもの、心を喜ばすもの
4.読み聞かせのすごい力
5.読書脳は高度な作業
おわりに
はじめに
母からの贈り物「コドモノクニ」
筆者が幼児期の頃、断片的だが、ある部分はっきりと思い出すところがある。それは母が毎日のように「コドモノクニ」という絵本を読んでくれたことである。
その本は当時としては、大判(A4判)、1ページが画用紙ほどの厚みのあるデラックス版で、美しい色彩で絵と文字が描いてあった。その本には、例えば、印象に残っているのは「ガリバー旅行記」や「ブレーメンの音楽隊」「一寸法師」「シンデレラ姫」「赤頭巾」「白雪姫」「ピーターパン」「かぐや姫」「フランダースの犬」など世界の有名な童話が載っていた。
母が読んでくれる物語には、最後に勧善懲悪の落ちがあった。「コドモノクニ」は筆者の心をときめかす楽しい時間であった。
「コドモノクニ」の編集には、西条八十氏や北原白秋氏といった詩人が、子どものために、良いものを選んで編集されていたことに感動した。
母は詩人の詩を、きれいな声で唄ってくれた。童謡の多くは筆者の記憶に残っている。
筆者の二人の娘は、筆者が童謡を唄うと、すぐ一緒になって唄い始める。そして自然に3部合唱になる。親子がそろって唄う楽しさは母のおかげである。
母の読む「イソップ物語」や「グリム童話」などは、夜の楽しい時間であり、お話しを読み聞かせすることが好きな娘、唄をうたうことが好きな娘、ものを描くことが好きな娘に育ってくれたことを母にも娘にも感謝している。
1.乳幼児に読み聞かせが上手になるために
2.事例
概要 「ちょっとだけ」 瀧村有子作
鈴木永子絵 福音館書店
「なっちゃん」はお母さんと、誕生したばかりの弟と3人で、旨く生きていくための一歩を歩もうと考えた。どうしたらいいかいろいろ考えているうちに、「なっちゃん」は弟と「なんでも半分こ」にすればいいことに気がついた。母親は、赤ん坊を育てるのに夢中なので姉である「なっちゃん」は、ちょっとだけ我慢してお母さんに甘え、ちょっとだけ弟のまねをして、ちょっとだけ一人で遊んで、ちょっとだけいろいろなことでお母さんに注意を向けさせ、弟が眠った後で、母親を自分だけの物にしようと思った。
ある日、「なっちゃん」は公園にいった。ここで仲良しの友達とその子のお母さんにあった。友達のお母さんは「ひとりできたの?」と聞いた。『ママは赤ちゃんのお世話で忙しいの』『赤ちゃんは可愛いでしょう』と、友達のママが聞いた。「なっちゃん」は「ちょっとだけ」と頷いた。公園のブランコに乗ったら、いつもママに背中を押してもらっていたので、一人でうまくこげなかった。でも、つま先で,チョン、チョンと蹴ったら、「ちょっとだけ」、ブランコがゆれた。公園から帰ったら「なっちゃん」は、眠くなってきた。
どの年代の子どもでも「ちょっとだけ」の心の支えは「ずっとがまん」している心の働きがあるからだ。それに加えて自分以外の身の回りの人に、我慢をしてもらうことも「ちょっとだけ」分かっている。絵本のなかで「なっちゃん」とママのやり取りがある。「なっちゃん」は公園で遊んできたので、眠くなってきた。「もうお姉ちゃんだから、お昼寝しないもん。」、でも、だんだん、目が閉じて来る。「なっちゃん」が「ちょっとだけ、だっこして」とママにいった。「ちょっとだけ?」ママが、「なっちゃん」に聞いた。「"ちょっとだけ"じゃなくて、いっぱい、だっこしたいんですけど、いいですか?」と、ママは、やさしく笑って、もう一度聞いた。「いいですよ」「なっちゃん」もにっこり笑っていった。
「なっちゃん」はママのにおいを、いっぱいかぎながら、いっぱい抱っこしてもらった。その間、赤ちゃんの弟に、「ちょっとだけ」我慢してもらった。
事例を通して
この絵本は美しい挿絵と言葉で、子どもを産み育てる喜びと不安と期待が語られる。子どもを育てた親は自分のことのように過ぎた日を思い出すであろう。かつて子どもであった大人は、親に愛されて育まれた日々を思い出すであろう。これからの人生を拓く子ども達は自分が一人ではなく、温かく深い愛に支えられていることを感じるであろう。この本のよさは、ほんとに分かるのは大人である。言葉はとても優しくて小学校低学年なら分かる。子どもはこの本の深い意味が分からなくても、この本の温かな愛の言葉は彼らの胸に染み通って、知らず知らずの内に心の中に愛の木を育てるであろう。
愛の言葉については次のような絵本が挙げられる。「ちいさなあなたへ」とか「ラブ・ユー・フォーエバー」など毛色の変わった親子の描写がされている絵本がある。
女の子の愛情の育つ過程を読んでいる大人の私たちに、忘れかけていた控えめの、「ちょっとだけ」の中に、しんしんと伝わってくる子どものいじらしさ、心のひだの育ちが感じられる。乳児期から幼児期に成長する女の子の愛情を優しく把握したママは「なっちゃん」より弟を可愛がっているような差別はない。しかし「なっちゃん」は「ちょっとだけ」弟と違うように思った。だから、弟が寝ている時だけでもいい、ママと一緒に眠ればいい。弟と「なっちゃん」は半分こ、と愛の分配をする女の子のやさしさ、いじらしさ、それを受け止めるママの広い愛。女の子の頭をなで、ほっぺにキスをしてあげたい。「ちょっとだけ」は女の子の素晴らしい生き方と、愛情の育ちが感じられる。
大切な言葉の力は、親から子への優しい語りかけや絵本を読んであげるという、暖かく人間的な触れ合いを通して、より豊かに得られていく。優しい「なっちゃん」の真の姿が描かれている。絵と言葉によって綴るのは物語や絵本である。子どもの心の世界を描きだしているのかどうかが、優れた絵本であるかどうか、子ども自身に支持されるのかどうか、優れた絵本の分かれ目でもある。
大人の思いつきや絵日記のようなものを絵本だと誤解してしまうようなこともあると判断する学者もいる。
3歳と5歳の子どもの世界は随分開きがある。すぐれた絵本であっても、その子どもの心の成長に応じていないとミスマッチになりかねない。心の成長に応じた絵本を選ぶことが大切な大人の役割である。
およそ3歳から7,8歳という年齢は、子どもがそろそろ自分を通して、少しずつ人間を見つめ、社会との接点に立とうとする年齢である。そのような彼らに人生の先輩者として伝えておきたいことが数々あると思う。でも彼らは自分で読めないので絵本からは深いものを得ることはできない。この年齢は、読んであげる年齢で絵本からは深いものを得ることはできない。この年齢までは、読んで理解する年齢であって、子どもの心のひだは大人によんでもらうことによって少しずつふえ成長していく姿が理解される。
人間として大切な愛し愛されること、正義と善、一歩を踏み出す勇気、やさしさ、ユーモア、悲しみや喜びへの共感、支えあって生きること、働くことを、子どもたちに社会の道筋と人生の励ましを絵本で語ることができる。そしてもしかすると、このことが子どもを育てるということの意味なのではないか。ここにこそ絵本の最も大切な価値があると考えられる。
何より愛の表現、つまり、子ども自身が、絵本を読んでもらうことは自分に向けられる直接の愛の表現だと知っているということ。「その時間は子どもにとって文字どおり、体も心も親に抱かれて(甘えも満たされて)」まるごとの愛を感じていられる。
絵本を読んでもらうことの喜びは日常とは違うもう一つの世界、心の世界を親(大人たち)と共に味わう喜びだ。親と子どもであれ、大人同士であれ、言葉を通して心の世界を共有できたと感じられる喜びは、人と人とを深く結びつける。折に触れ、人への愛と信頼を表すことのできる子ども達、また、そのようにして成長してきた子ども達が、他の大人達から愛されない、あるいは信頼されないという子どもがいるだろうか。
3.絵本は楽しむもの、心を喜ばすもの
この楽しみは実は学びについても、結果として、いくつもの恵みをもたらす。
たとえば
1)言葉の力 2)言葉をつなげて新しい物を組み立てる力(想像力) 3)お話を集中して聞く力 4)抽象的な思考力 5)活字や本への親近感 6)知的な好奇心 7)工夫と動機づけなどがあげられる。
4.読み聞かせのすごい力
読み聞かせの絵本の影響を以下に列挙してみよう。
5.読書脳は高度な作業
読書の時、脳はどんな活動をしてるのだろうか。短いエッセイを30人にきかせた例がある。
男性は、脳の左側「文章の意味を理解する」領域だけが活発になったのに対して、女性は左に加えて右側の領域も活発化した。右の領域は関連する言葉を思い出したり、声の抑揚から朗読者の感情を想像したりする働きがある。
「女性は話す内容と話す人の声の調子を結びつけ、男性の抑揚から朗読する話す人の声の調子を結びつけ、男性よりも深く、感情まで読み取ろうと聞いているようだ」と言われている。
おわりに
子どもの人格形成がゆがみ始めているという時代の傾向である。人々の生活を変容させたことが深く関係している。人間同士の生身の接触、肉声による接触を激減させた。子どもも大人も、自己中心的になり、他者の悲しみや思いやる感性や、命をいとおしむ心が育たなくなってきた。「今、大人こそ絵本を」と乾いた大人の心を潤し、感性を取り戻すことによって、親の子を見るまなざしを変えようとしている。失ってならないものとは、人間同士の生身の接触であることを子育ての中の若い親たちに知ってほしい。絵本とメディアと子育てと、その問題について考えてみた。
現代文明が行きづまり、さまざまな問題を、社会的に、個人的に抱える中で私たちはより人間らしく生きたいという望みを持って探っている。もし人間の発達の中に(第2の誕生)という名に値する時期があるとすればそれは思春期という時期である。筆者はその名は言語習得期ではないかと思う。それは自己中心的言語を呼ぶように十分社会化されておらず、両親にしか通じない場合が多い。一言の単語が、母親に何かをなすことを求めている。命令形であったりする。言語習得の段階そのものが、会話の要因である。子どもの言葉の発達の道筋を知ることは、子どもの人格、その自己形成の姿を知る原点でもある。
絵本は単純に子どもの対象の本などではなく、大人にも計り知れない意味を語りかけ深い思いをさせてくれる本だと思う。大人が絵本を読み、大人としてその物語の世界の神秘さや不思議さに目を見張る喜びを感じさせる。絵本体験を親と子がともにする喜びは、大人にとって子どもの本が生涯にわたって読書の意味へと広がりを深めて多様な可能性を秘めていると言える。
物語は本を開いた時に、その本の中にただあるだけのものでなく、日常生活の中の人生の中にいくらでもある。自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、現実を物語にして、自分のなかに積み重ねていく。そういう、意味で言えば誰でも生きている限りは物語・絵本を必要としており、物語・絵本に助けられながら、現実との生身の生き方を考える時を持っている。
子どもと絵本のかかわりを、見つめていると、絵本を繰り返し、読んでもらいたがる子どもの姿が必然的に現れてくる。大人にとっては、繰り返し読むというのは、単に「同じことを読む」という、とても退屈で単調なこととして感じてしまう。子どもは、言葉の音、言葉のイメージをじっくり楽しみ、言葉をじぶんの物にしている。ここからが「繰り返しの言葉の意義」がある。繰り返しは、本の内容の理解はもちろん、子どもならではの、楽しみかたと、成長をもたらしてくれる。子どもが喜ぶのは、「今、読んでもらったとき」〜「次に、読んでもらった時」までの、この「〜」に空想を膨らませ、無意識に声を出して唄っているように繰り返し楽しんでいるのである。子どもに絵本を読んであげる時、読み手は、知らず知らず、自分自身も聞き手になっていることがある。
読み手の大人が自らの内に潜んでいる子どもに気づき、自分の幼児期の感覚に目覚め、幼い時の見方や感じ方興味の持ち方や印象、またその時の読み手の交互の気持ちのやり取りを思いだすだろう。言葉の力をしっかり、身に付けることが知能の発達、人格の成長、言葉の発達につながって、人々を豊かにしてくれるのである。
〈参考文献〉
「ちょっとだけ」瀧村有子作 鈴木永子絵 福音館書店
こどもの本のカレンダー 鳥越伸・生駒幸子著 創元社
みんな、絵本から 柳田邦男著 石井麻木写真 講談社
松井直のすすめる50の絵本(大人のための絵本入門)松井直著 教文館
日本の唱歌集 岩波文庫書店 岩波書店
人間形成と教育−発達教育学への道− 堀尾輝久著 岩波書店
「語りかけ」育児 サリー・ウヲード著 汐見稔幸監修 槙朝子著 小学館
子どもが本好きになる7の法則 有元秀文著 主婦の友社
子どもの本の森へ 河合隼雄 長田弘編 岩波書店
砂漠でみつけた一冊の絵本 柳田邦男著 岩波書店
絵本と子どもが出会ったら 徳永満理著 鈴木出版
絵本の力がわか子を伸ばす 杉本昌弘著 アールズ出版
親子関係と情緒 昌子武司著 教育出版
本と私 鶴見俊輔著 岩波新書 岩波書店
子どもの本評論集(絵本編) 瀬田貞二著 福音館書店
365日まいにち絵本 生田美秋監修 別冊太陽 平凡社
国語学 築島裕 東京大学出版会