内閣府所管 公益財団法人 日本教材文化研究財団

研究紀要 第39号
特集:習得・活用・探究型学力の育成と評価の理論

子供の認知発達に応じた道徳判断の育て方
─小学校中高学年を中心に─
井口 祥子 臨床心理士
1.はじめに
2.子供の道徳判断の発達理論
3.自・他の信頼感と道徳判断
4.子供の道徳判断に家族の果たす役割
5.おわりに

1.はじめに

子供の道徳観は生まれつき備わっているものではなく、家庭や社会環境の中で様々な影響を受けながら学習形成されていく。近年では、社会のデジタル化や情報化も、家族の生活形態や価値観に変化を与え、子供の道徳観に影響を及ぼしている。 しかしながら、何を道徳とみなすのかは、それぞれの地域、社会、時代によって一様ではない。

心理学者チュリエルは、社会規範を道徳・慣習・個人の3領域に分け各々を定義付けている。彼によると、道徳領域は人として「絶対にしてはいけないこと」と判断される行為の領域、慣習領域はそれ自体に善悪を判断する基準は含まれていないがその社会の一員として帰属していくために必要とされる行為領域、また、個人領域は個人の嗜好や遊びなどのように個人の自由意志に関連するものであるとされている。

本稿中では、社会の一員として他者と共存していける思考や認識、行為一般を道徳と捉え、チュリエルの道徳領域と慣習領域の両領域を含むものと幅広く道徳を定義づけて使用したい。

ところで、子供たちはどのようにして道徳的判断を獲得していくのであろうか。  平成20年度の文部科学省による「児童生徒の問題行動調査」によると、全国の小中学生、高校生による学校の内外での暴力行為の件数は、5万9618件で、前年度より11.5%増え、年々増加傾向にある。自分の思うようにならないとすぐに手が出てしまう「切れやすい子」が増えていることが伺われる。自分の気持ちと他人の気持ちを少し離れたところから客観的に考察する能力が欠如しているとも言えるであろう。他者と気持ちよく共存していくための認識や適切な行為が求められている。

以下では、代表的な子供の道徳性の発達理論を通し、家族関係の果たす役割が子供の道徳判断の形式に与える影響を、主に小学校中高学年を中心に考えてみたい。

2.子供の道徳判断の発達理論

哲学者プラトンが、道徳教育は道徳理解のより高い次元に人々を導く過程であると述べているように、子供の物事の善悪を判断する能力が幾つかの段階を経て発達していくという概念は、古くは古代ギリシャ時代にまで遡ることができる。しかし、心理学者として子供の道徳性の発達を研究したのは1920年代になってからのピアジェが最初である。コールバーグもピアジェの研究を踏襲し、子供の道徳判断は段階的に発達していくものと捉えた。彼は、子供に道徳的な葛藤が生じる課題を与え、その回答を分析し、6段階の生涯発達理論を示した。

以下は、コールバーグの示した道徳判断発達の6つの段階に、心理学者のダモンとセルマンが段階0を追加したもので、更に筆者が解説を加えたものである。

カッコ内の年齢や学年は、支援的で道徳的な環境で育成されている正常なIQを持つ子どもに期待される適正な発達を基準に表示している。

段階 0
自己中心的判断(就園前 4歳前後)

自分の欲求が正しいという信念が道徳の判断基準となる。4歳児の自己中心性と2歳児のそれと異なるのは、2歳児は単に自分が「〜したい」という欲求が中心になるのに対して、この段階の子供は、自分が欲しいものが叶えられないのは、フェアじゃないという主張が強くなる。たとえば、自分が勝手に砂場でトンネルを作ろうとしていたのに、隣で砂場遊びをしていた兄が自分のトンネルを作ってくれないから悪いと親に泣いて主張しに来たりする。

一見我侭な行動に見られるが、この時期の子供は自分なりの正義観に基づいて主張していることに考慮したい。したがって家庭でも、自分がやって欲しいことを相手がやらないから相手が悪いとは言えないのだということを場面ごとに教えていくことが求められる。

段階 1
他律的道徳性(幼稚園年齢 5歳前後)

権威を持った大人が決めることが正しいことであり、それに従うことが正しいことと判断する。この段階では、先生や権威者の言うことを聞かないと叱られるといった罰回避が道徳判断の基準になってくる。事の善悪からの判断ではなく、「お店の物を黙って持ってきたらお巡りさんに捕まるからしない」など、罰を避けるために規則を守る段階である。

したがって、まだ小さいからと甘やかすのではなく、悪いことは悪いとする毅然とした親の態度が躾に功をなす時期だといえよう。挨拶や食事のマナー、睡眠・起床を含めた基本的な生活習慣などは、段階1の幼稚園から就学前までに習得させておくのが望ましいといえるであろう。

段階 2
個人主義的な道徳性(小学校低学年)

自分が損をしていないかを考えるようになる。お手伝いをしたからお小遣いがもらえるというように、自分の行動の損得が道徳判断になる時期。この段階の子供は、友達との喧嘩も自分が殴られたから殴り返すという道徳判断をする。相手からやられたら同じようにし返ししてもいいと判断しやすい時期である。

したがって、自分の損得だけでなく相手の気持ちも考えることのできる次の道徳判断段階に繋げる為には、大切な人が喜んでくれることに意味があるということを日々の生活の中で体験させ、教えていくことが求められる。

子供にも家族の一員としてできる仕事を手伝わせ、相手のためにできる役割を体験させたい。クラスの友達に「ありがとう」「ごめんなさい」という配慮の言葉をきちんと使えることや、上手く仲間に入れない子がいたら「一緒にやろう」などと自分から誘ってみるといった関りの言葉が使えるように配慮したい。

段階 3
「良い子」への志向(小学校中高学年)

親、クラスメート、担任といった身近な他人から「良い子」と評価されることに価値が置かれる段階。この段階の子供は、友達から先に殴られて殴り返したとしても、それが解決にはならないということを理解するようになる。

他人の期待に沿い、他者から評価されることで、自己評価も高まり、いい気持ちになれる。このことが、援助行動への動機付けへと繋がっていく。子どもの成長に合わせて、家庭でも子どものできるお手伝いをさせたり、地域の中で子供のできそうなボランティアに参加させ、他者のために役立つ体験をさせてみるのもいいであろう。

段階 4
社会システムに対する責任(十代後期)

社会制度や社会的組織の維持のために自分が果たさなくてはならない義務に対しての自覚が高まる。法を遵守し、地域社会や国のために貢献するといったことが判断の基準になる。自分や自分の家族の利益ばかりを求めていては、地域社会や国が継続しないという意識が生まれる。万引き行為が悪いという理由付けも、店主や自分だけの視点からでなく、万引き行為が及ぼす消費者への影響、社会へ影響の視点からも判断されるようになる。

この段階になると、世の中の価値観には、自分の周りで求められている価値観だけでなく、様々な善悪を判断する基準があることにも気がついてくる。したがって、自分の中で大切と考えていることと社会の一員としての責任意識を調和させた道徳観を獲得できるように、親は少し離れて子供の自立を支援したい。

段階 5
規律的な良心(成人早期)

法を人間尊重という視点から客観的に見ることができる。人間尊重が道徳判断の基準となる。人々のために社会システム(社会制度や社会組織)は存在するのであり、その逆ではないということを理解する。法律が人々の権利を保障するという意味において法を重んじる。前の段階4では、自分の地域社会や国が継続するために果たすべき自分の義務を意識するようになるが、段階5では人間であるとはどういうことかを意識するようになる。自分の道徳判断が自分の属している社会組織を継続していくのに役立つかではなく、人々の尊厳や権利を尊重できているかが重要とされる。

段階4も段階5も規則や法を重んじ、家族や地域社会や国家の継続に尽くそうとする行動では差異が見られない。しかし、段階5では自分の属している組織が間違っている場合でも道徳判断を客観的に行える判断力が獲得される。正当な理由があれば、規則は変えていくべきものと考えられるようになる。

段階 6
普遍的な倫理原理

法律が倫理的原理(正義、公平)に反している場合には倫理的原理に従うべきと考える。正義、平等、尊厳などの視点から、法と道徳の区別がつけるようになる。

コールバーグの道徳判断の発達理論には、正義よりも他者への配慮を重んじる女性的な道徳判断が高く評価されず、逆に、正義・権利が道徳判断となる男性的な視点が最も高い段階6に置かれるなど、道徳判断の基準に性差の偏りが見られることがギリガンに指摘されている。この点に関しては賛否両論あるようであるが、ピアジェやコールバーグのとった研究方法は子供の道徳性の発達を研究する多くの学者に活用され、現代の教育現場においても活用されている。

3.自・他の信頼感と道徳判断

小学校高学年に達した子供達は、自・他の心を第3者の立場から考慮したり、より相手の立場に即した思いやりの心を理解できるようになる。しかし、同じ年齢で同じ学校環境下で学習していても、道徳判断の段階に違いが生じている。

私の勤務校の小学校6年生を対象に、道徳の時間に「体の不自由な人が近くにいたらどうしますか」という課題で回答してもらったところ、以下のような道徳判断に分かれた。

@助ける(状況次第で助けるとしたものは「助ける」に分類)
ア(自分の視点で相手を理解する)
・目の悪い人がいたら、一緒に横断歩道を渡ってあげる。
・身体の不自由な人はかわいそうだから助けてあげる。
イ(第3者の視点を判断の基準に考慮している)
・友達の前では恥かしいので助けないが、いなかったら助ける。
ウ(相手の状況と自分の立場を第3者の視点も総合した上で判断)
・電車などで身体の不自由な人が、席に座れなくて困っていたら、黙って席を立って自分の席を空ける。なぜ黙って席を譲るかというと、席を譲られた身体の不自由な人が自分の身体の不自由なことを気にしていたら、よけいに自分は周りの人から特別扱いされる存在なのかと不快に思われるかもしれないから。
エ(社会システムの継続を視野に入れているもの)
・自分ができることは助けてあげたい。小さいことでもやっていけば、身体の不自由な人でも暮らしやすい国になっていくと思うから。
A助けない
ア(自分の視点で相手の状況を判断する)
・絶対に関わりたくない。なるべく傍に行かないようにする。声をかけて「余計なお世話だ」「荷物を盗む気か」「助けて!」などと叫ばれたらやっかいだから。

上記の例で分かるように、6年生になると、相手や第3者の視点だけでなく、相手の視点を通した第3者の視点や、よい社会を作るための義務を果たす行動といった視点からの道徳判断を選択できる子供も出てくる。

他方、「絶対に関わりたくない」と書いた児童は、母親から「人と関わるとやっかいなことになるから、深く関わらない方がいい」「友達には利用されるな」といった助言を受けて育ってきたということであった。人に対する基本的な信頼感をもてないために、クラスメートに対しても積極的な関わり方が上手くできず、トラブルに発展してしまうことも度々あったようである。そうしたトラブルが増えると、周囲の人間からの否定的な評価を受けることにより、ますます対人関係をもつことがやっかいになるという悪循環に陥り、自分に対する信頼感や他者に対する信頼感がますますもてなくなる。こうした関係がベースにあると、「他者のために何かする」といった道徳判断の展開は難しい。

この児童のケースは極端な例ではあるが、小学校高学年までに獲得した道徳性が他者との関係維持のための潤滑油として機能するためには、自分や他者に対する信頼感がどれほど育っているかに左右されるのではないだろうか。いくら挨拶が大切だと躾られても、相手に対する信頼感がなくては冷たい、おざなりな挨拶になってしまうであろう。

子供たちが認知の発達の段階に応じた適切な道徳判断力を開花させていくためには、自・他に対する信頼感が家庭内でしっかり育成されていることが基盤になっているといえるであろう。

4.子供の道徳判断に家族の果たす役割

人は様々な集団に属している。人々の行動規範に大きな影響を与えている集団のことを準拠集団という。多くの子供達にとっては、家族が最初に体験する準拠集団である。一番身近な存在である家族からいかに自分が愛され、必要とされている存在であるということ、逆に自分にとって家族は大切な存在であるということ、また、そうした人々との丁寧なかかわりあいがあることが子供の道徳観の基盤になることはいうまでもない。信頼感の育成に、家族、特に親の果たす役割は大きい。

図1の絵は、家族関係の重要度を見るために記入してもらうものである。


現在の対人関係の重要度を保護者に記入してもらうと、ほとんどの保護者は、「一番重要な他者」(つまり1の円内)のところに子供や夫(妻)を記入する。この場合の重要度は、物理的な環境とは異なる。たとえば同居の義父母がいる場合でも、心理的な距離がある場合は3の領域に書かれることもあるし、逆に同居していない場合でも1の領域に書かれる場合もある。

小学校低学年や中学年の子供の場合は、ほとんどが1の領域に親や兄弟を書くが、高学年になると親が書かれる場所に差が出てくる。高学年になると、子供が一生懸命に親の愛情を求めても親がそれに応えてくれない場合は、子どもが親を見限ってしまい、子供の重要な人間関係から家族が外れていくケースが出てくる。家庭内環境の変化や親との心理的距離を感覚的に読み取る力が出来てくるのだろう。しかし、自立を求める反抗期の反発から、いくら親への嫌悪感を高めていても、子供のことを理解しようとする親の姿勢が伝わっている場合には、親の重要度は下がっていかない。

同様に、親のポジションマップ(図2)でも、小学校の高学年になると親の位置づけをアの領域から外して書く子供が出てくる。親をイの領域に位置づけた場合は、親からの自立を目指す順調なサインと読み取れる場合もあるが、一方的に親の価値観だけを押し付けて介入してくる場合や、過干渉の躾がなされると、親の位置づけはイのポジションに固定してしまう。子供にとって、親は自分の気持ちを理解してくれない、口うるさいだけの存在になってしまう。

日頃から子供と家族との感情交流が良好で子供が安心できる家庭環境にある場合は、親の位置づけは、アに安定しているか、アとイの間を揺れ動く。

さらに、放任家庭や親が忙しいあまり、愛情の代わりに子供にお金や物を与えている環境で育った子どもにとっては、家庭は自分の所属欲求や愛情欲求を満たしてくれる場所ではなく、親は、単に自分の欲しいものを買ってもらうための道具の存在と位置づけられる(ウの領域)。

また、親が育児放棄をしているような環境下においては、親はエに位置づけられることになろう。ウ、エの領域に家族を位置づけている子供たちは、所属欲求が家庭内で満たされていない状況である。

子供の成長に従い、子供の準拠集団も、家庭の他に、学校、地域のグループ、友人グループと増え、子供の道徳観に影響を与える。学童期・思春期と子供が成長するにつれ、家族よりも友達集団の方にウェイトが移ってくるように見える。しかし、家庭での自・他の信頼関係がしっかりと獲得されている子供たちは、成長に伴って所属集団が増えても、家族が一番重要な対人関係の中心にくる。特に、子供が自尊心や効力感を探求し始める小学校中高学年期においては、家庭が子供の自尊心や効力感を育成している環境であるかを親が再確認して欲しい。


5.おわりに

小学校中高学年の子供達は、「いい子」志向が高まり、身近な人々の期待に応じた行動を通して道徳性を獲得する時期である。子供の自意識が芽生えてくるに伴い、「自分はどんな子供なのだろう」「自分は何が得意なのかな」「家族から自分はどのように思われているのだろう」「クラスメートはどのように僕のことを見ているのか」といった他者の目を通した自分の像を強く意識するようになる。誰もがどこかで「お前はすごいぞ」「よくやれたね」「〜さんが喜んでいたよ」と認められることを通して道徳判断を学んでいるといえよう。  この時期の子供の道徳判断の獲得を考える時に家族の役割は大きい。

例えば、学業、スポーツ、音楽すべて不得手で、友達との関わりにも自信が持てないとき、家庭でも認めてもらえない場合は、自分の存在に自信が持てなくなる。また、親にこの段階の子供特有の道徳判断に対する理解が欠けていると、子供の成長を望む気持ちから子供の欠点ばかりを指摘したり、褒めると調子に乗るからと、あまり褒めないように心掛けるといったことも起こりうる。子供が家族に認めて欲しい気持ちを強めて、家族への帰属意識を高めようとしてもそれが無為であることを悟り、家族を見限る萌芽が見られるのもこの頃である。

「認められたい」意識の高まる小学校中高学年の子供の親は、単に親のイメージする「いい子」像を子供に押し付けるのではなく、子供なりの頑張りを認めてあげられる親子関係であることを大切にしたい。


参考文献
・Dr.Thomas Lickona
「Raising Good Children」
Bantam trade paper edition
October 1994